ビル・エヴァンス・トリオの1961年6月25日、ベースが伴奏をやめて会話に加わった日
ピアノトリオを聴いていて、ふとベースの音だけを追いかけたくなる瞬間がある。ピアノが一息ついたところへ、低い弦が短い旋律を差し込み、ピアノがそれに答えるように和音を置く。ドラムはその二人のやりとりの外側で、ブラシの音をほとんど聞こえないくらいに揺らしている。誰が主役で誰が伴奏なのか、聴いているうちに分からなくなってくる。 その聴き方が当たり前になった出発点として、よく名前が挙がるのが、1961年6月25日の日曜日にニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで録音された、ビル・エヴァンス・トリオの演奏だ。ピアノのビル・エヴァンス、ベースのスコット・ラファロ、ドラムのポール・モチアン。この3人がこの日に残した5つのセットから、『Sunday at the Village Vanguard』と『Waltz for Debby』という2枚のアルバムが生まれた。 そして、この録音から11日後の7月6日、ラファロは自動車事故で亡くなる。25歳だった。2枚のアルバムは、3人が対等に話しはじめたばかりの時間を、そのまま閉じ込めた記録になった。この記事では、その日に何が起きていたのかを、トリオの成り立ちから順に追っていきたい。 1959年、3人が集まるまでのピアノトリオ 1964年8月、フィンランドを訪れたビル・エヴァンス。ラファロとのトリオから3年後の姿Photo: Seppo Heinonen / Lehtikuva / Public domain それまでのジャズのピアノトリオでは、役割がはっきり分かれていた。ピアノが旋律と即興を受け持ち、ベースは4拍を一つずつ刻んで和音の土台を支え、ドラムはシンバルでテンポを保つ。ベースにソロの番が回ってくることはあっても、それは曲の途中に用意された「順番」であって、ピアノが弾いている最中にベースが自由に旋律を返すことは、ほとんど想定されていなかった。 ビル・エヴァンスは1929年生まれのピアニストで、1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに加わり、翌1959年の『Kind of Blue』の録音にも参加している。そのエヴァンスが自分のトリオを組んだのが1959年のことだった。ベースに選んだのは、ニュージャージー州ニューアーク生まれで当時23歳のスコット・ラファロ。ドラムは、エヴァンスとすでに何度も共演していたポール・モチアンである。 この3人がスタジオで最初に残したのが、1959年12月28日録音の『Portrait in Jazz』だ。続いて1961年2月2日に『Explorations』を録っている。どちらも、ピアノの後ろでベースが4拍を刻むだけではなく、ときどき旋律の隙間に入り込んでくる場面がある。ただ、スタジオという場所の行儀のよさもあって、3人の会話はまだ少し控えめに聞こえる。私は、この2枚を先に聴いておくと、ヴィレッジ・ヴァンガードの録音で何が変わったのかがよく分かると思っている。 エヴァンスがトリオに求めていたのは、ピアノを2人が支える形ではなく、3人が同時に即興し合う形だった。誰かが何かを弾けば、ほかの2人がそれに反応する。リズムを守る役目を一人に押しつけず、全員がテンポの流れを共有したうえで、自由に出入りする。言葉にすると単純だが、それを実際の演奏で成り立たせるには、互いの音を聴き取る耳と、相手の出方を待てる落ち着きが要る。 ラファロのベースは、なぜ「歌う」ことができたのか コントラバスの正面と側面。指板と弦の距離が、弾きやすさと音の太さを左右するPhoto: User:AndrewKepert / CC BY-SA 3.0 ラファロのベースを初めて意識して聴くと、まず音の数の多さに驚く。4拍を一つずつ置いていくのではなく、3連符や細かい音符で旋律を描き、ときにはピアノより高い音域まで駆け上がる。しかも、その旋律がピアノの邪魔をしていない。エヴァンスが和音を弾いているあいだに短いフレーズを差し込み、エヴァンスが旋律を弾きはじめると、すっと低い音域に戻って支える側に回る。 これを可能にしていた理由の一つが、楽器の調整にあった。ラファロは弦と指板の距離、いわゆる弦高をかなり低くしていたことで知られている。弦高が低いと、左手で弦を押さえる力が少なくて済むので、速い旋律や高い音域が弾きやすくなる。その代わり、当時の多くのベーシストが鳴らしていた太く重い音は出にくい。ラファロは、その太さを少し手放す代わりに、ギターのように軽く動ける機動力を選んだと言える。 もう一つは、ラファロ自身の耳の良さだと思う。どれだけ指が速く動いても、相手の音を聴いていなければ、ただ騒がしいだけのベースになってしまう。ラファロの旋律は、エヴァンスが残した和音の響きの中から次の音を拾ってくるように聞こえる。ピアノが言いかけたことを引き取って、別の言い方で言い直す。私には、そこがこの人のいちばんの魅力に感じられる。 一方で、ドラムのポール・モチアンの役割も見落とせない。ベースとピアノが自由に動き回ると、曲の拍がどこにあるのか見失いやすくなる。モチアンはブラシやシンバルの音を細かく揺らしながら、拍を強く打ち込むことはせずに、曲全体の流れだけを途切れさせない。3人の会話が散らばらずに一つの曲として聞こえるのは、この控えめなドラムがあるからだと思う。 1961年6月25日、日曜日の5つのセット 1976年の夜のヴィレッジ・ヴァンガード。地下へ降りる入り口は今も同じ場所にあるPhoto: Tom Marcello from Webster, New York, USA / CC BY-SA 2.0 ヴィレッジ・ヴァンガードは、1935年にマックス・ゴードンが開いたジャズクラブで、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジ、7番街サウス178番地の地下にある。客席は100あまりの小さな店だが、ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンも、ここでライブ録音を残している。2026年の今も営業を続けていて、ジャズを聴く人にとっては、地図に印をつけておきたい場所の一つだ。 1961年6月、エヴァンス・トリオはこの店に出演していた。その6月25日の日曜日に、リバーサイド・レコードが録音機材を持ち込んだ。プロデューサーはオリン・キープニュース、エンジニアはデイヴ・ジョーンズ。この日、トリオは昼に2セット、夜に3セットの計5セットを演奏し、そのすべてが録音された。 録音を聴くと、演奏の後ろで客の話し声やグラスの触れ合う音、ときには笑い声まで聞こえてくる。日曜の昼下がりのクラブは満席というわけではなく、音楽に耳を傾けている人もいれば、連れとの話に夢中な人もいたようだ。3人はそんな店の空気の中で、肩に力の入らない演奏を続けている。私はこの雑音も含めて、この録音の大切な一部だと思っている。スタジオの静けさの中では、ここまでくつろいだ会話は生まれなかったかもしれない。 この5セットから、2枚のアルバムが作られた。1961年10月に出た『Sunday at the Village Vanguard』と、翌1962年の初めに出た『Waltz for Debby』である。同じ日の演奏なのに、2枚の聞こえ方はかなり違う。 『Sunday at the Village Vanguard』で、ベースの声を聴く 『Sunday at the Village Vanguard』は、ラファロが亡くなった後にまとめられたアルバムで、ラファロのベースがよく聞こえる演奏を中心に選んでいる。1曲目は、ラファロ自身が作った「Gloria’s Step」。続いてガーシュウィンの「My Man’s Gone Now」、マイルス・デイヴィスの「Solar」、ディズニー映画の曲として知られる「Alice in Wonderland」、コール・ポーターの「All of You」が並び、最後にもう1曲、ラファロ作の「Jade Visions」で閉じる。 ...