Randy Crawford『Raw Silk』はなぜ11曲中10曲をカヴァーで固めたのか

ある歌手の代表作を挙げるとき、たいていは一番売れた盤か、一番有名な曲が入った盤が選ばれる。ランディ・クロフォードの場合、その答えは1980年の『Now We May Begin』か、もっと言えば彼女の名前が小さくしか出ていない他人のアルバム——クルセイダーズの『Street Life』になってしまう。 その手前に、『Raw Silk』という一枚がある。1979年2月、ワーナー・ブラザーズから出た3枚目のアルバムだ。チャートはほとんど動かず、シングルも跳ねなかった。けれど、この盤を通して聴くと、半年後に彼女の声が世界中のラジオから流れることになる理由が、もうほとんど全部そろっているのが分かる。 1979年2月に出た、3枚目のワーナー盤 白いブラウス一枚で立つ。声の出し方は昔から変わっていないPhoto: Alberto Cabello from Vitoria-Gasteiz, Spain / CC BY 2.0 ランディ・クロフォードは本名をヴェロニカ・クロフォードといい、1952年2月18日にジョージア州メイコンで生まれ、オハイオ州シンシナティで育っている。10代のうちからクラブで歌い、ワーナー・ブラザーズと契約したのが1970年代半ば。デビュー作『Everything Must Change』(1976年、スチュアート・レヴァインの制作)、続く『Miss Randy Crawford』(1977年、ボブ・モンゴメリーの制作)と来て、3枚目が『Raw Silk』になる。品番はアメリカ盤がBSK-3283、英国盤がK 56592。 ここまでの流れで目を引くのは、2枚続けて制作者が入れ替わっていることだ。『Miss Randy Crawford』はマッスル・ショールズのFAMEスタジオを軸に録られていて、デビュー作のニューヨーク/ハリウッド録音とはそもそも土地が違う。そして『Raw Silk』ではまたプロデューサーが変わり、ステファン・ゴールドマンが入る。エンジニアはビリー・テイラーとジェフリー・カワレック。3枚で3人目の制作者という事実は、レーベルがこの歌手をどう売ればいいのか決めあぐねていたことを、そのまま示しているように思う。 売上の数字は正直なところ寂しい。アメリカではビルボード200に入らず、R&Bアルバム・チャートで63位、ジャズ・チャートで35位どまり。英国のアルバム・チャートには顔を出していない。唯一ノルウェーで37位まで上がっているのが、のちのヨーロッパでの人気を思えば示唆的ではある。 11曲のうち10曲は、他の誰かが先に歌っていた 笑い方まで歌のうち、と思わせる人だったPhoto: Stuart Mentiply / GFDL 1.2 このアルバムで一番おもしろいのは、収録された11曲のうち、彼女自身が書いたのが「I Got Myself a Happy Song」のただ1曲だという点だ。残り10曲はすべて、他の誰かがすでに世に出した歌である。 A面は「I Stand Accused」で始まる。ジェリー・バトラーとビリー・バトラーの兄弟が書いた、1964年のシカゴ・ソウルの名曲だ。続く「Declaration of Love」はアラン・トゥーサン、「Someone to Believe In」と「Endlessly」はクライド・オーティスとブルック・ベントンの系列、「Love Is Like a Newborn Child」はオスカー・ブラウン・ジュニア。B面に回ると、ニック・アシュフォード&ヴァレリー・シンプソンの「Where There Was Darkness」、ジェイ・センターとビル・ラバウンティの「I Hope You’ll Be Very Unhappy Without Me」、マーヴィン・ゲイらが書いた「Just to Keep You Satisfied」と並ぶ。 ...

2026年10月5日 · 1 分 · 160 文字 · kingsworksub-jpg

Kamasi WashingtonとDinner Partyが拓く、スピリチュアルジャズの新潮流

2015年が転機だった。5月、ロサンゼルスの若きテナー奏者 Kamasi Washington が『The Epic』という3時間の壮大なアルバムを世に放った。その前後、ヒップホップの帝王 Kendrick Lamar は『To Pimp a Butterfly』で、従来のジャズとは別の何かを求めていた黒人リスナーたちに、歴史と革新が融け合ったジャズの可能性を示した。それから11年。スピリチュアルジャズはもはや「ジャズ好きの秘密の音」ではなく、若い世代が最初に出会うジャズの顔になろうとしている。 スピリチュアルジャズとは何か Jazz saxophonist in passionate performance Photo: Pexels / cottonbro スピリチュアルジャズを説明する際、多くの人は「スタイルではなくアプローチだ」と言う。それは正確だ。1960年代の John Coltrane『A Love Supreme』に源を遡る、黒人アーティストたちの精神的・社会的解放への営みが、2020年代でどう響いているかという問題だからだ。 音楽的な特徴は明らかだ。弦楽器——ヴァイオリン、チェロ、ハープ——の多用。Afrobeat や西アフリカンのパーカッション。合唱の導入。複数のホーン(サックス、トランペット)による層厚いオーケストレーション。それでいて、個々の奏者の即興は完全に自由。構造と自由が矛盾なく共存する。 そしてテーマとしての一貫性。アルバムはしばしば1つのナラティブ——例えば、黒人共同体への讃歌、警察暴力への怒り、瞑想的な内省、社会正義への肯定的なビジョン——を貫く。ジャズが本来持っていた、音楽を通じたメッセージ伝達の力が、明示的に立ち現れている。 Dinner Party——スーパーグループの決定的瞬間 2020年、ジャズシーンを揺さぶったのは Robert Glasper(キーボード)、Terrace Martin(サックス)、Kamasi Washington(サックス)、そして 9th Wonder(ヒップホップ・プロデューサー)という4人の共同プロジェクト Dinner Party だった。 Classic jazz records and vinyl culture Photo: Pexels / Volker Thimm 当時、アメリカは George Floyd の殺害と全米規模の抗議運動の渦中にあった。7月10日にリリースされたアルバム『Dinner Party』は、その痛みと怒り、そして望郷と希望を、ジャズ×ソウル×ヒップホップ×1970年代ファンクの交叉点に集約した。9th Wonder のビート、Glasper のグルーヴィーなキーボード、Kamasi と Terrace の説得力あるホーン、そして複数のボーカリストたちのメッセージ。8曲、わずか40分。しかし音は数時間分の重みを持っていた。 このプロジェクトが象徴するのは、ジャズがもう「ジャズの人」だけのものではなく、ヒップホップリスナー、ソウルリスナー、R&B ファンといった、より広い黒人文化圏の感受性と共振する楽器だということだ。Glasper は後に語っている:「ジャズは常に変化してきた。ラテンを取り入れ、ロックを取り入れ、ファンクを吸収した。今、ヒップホップとソウルの言語で話すのは自然な進化だ」 ...

2026年9月30日 · 1 分 · 166 文字 · kingsworksub-jpg

2026年のカフェジャズとラウンジピアノ、Moonlight Jazz Blueが紡ぐ静けさ

カフェの片隅で、誰かの机の上で、旅の移動時間に。ジャズは今、「聴く音楽」から「生活の音」へと変わっている。 2026年のカフェジャズ・ラウンジピアノシーンは、単なるBGMの領域を超えている。Moonlight Jazz BlueとJAZZ PARADISEが放つ最新作は、これが単なる「リラックス音楽」ではなく、感情の深さを持った芸術作品であることを証明している。 ジェン・Zとミレニアル世代が見つけたジャズの居場所 灯りを落とした店内に、音だけが満ちていくPhoto: MIKI Yoshihito / Wikimedia Commons (CC BY 2.0) 驚くべき統計がある。イギリスの調査では、22%の若者がジャズを聴いており、その約半分(45%)が「リラックス目的」を挙げている。日本ではさらに進行していて、TikTokやYouTubeの「深夜のカフェ」「ジャズ喫茶」「ヴァイナルレコード」といった視覚的コンテンツの流行に伴い、ジャズリスナーの年齢層が大きく若返っている。 Moonlight Jazz Blueは、Spotifyで月間11,900人のリスナーを抱えている。一見すると小さな数字かもしれないが、このジャンルのニッチさを考えると、これは確実な支持層の存在を示している。JAZZ PARADISEとの協業プロジェクトでも月間2,700人のリスナーがいる。その聴き手たちは、「流行っているから」ではなく「必要だから」その音楽を探している。 2026年のカフェジャズが大切にしていること 2026年のカフェジャズ制作には、明確な哲学がある。かつてのように「感情的な美しさ」を全面に出すのではなく、「個々の調和、忍耐強いリズム、録音の質感」を重視する傾向が強い。つまり、ピアノの鍵盤がきしむ音さえも、意図的に残すということだ。 柔らかく滲むRhodesの和音が、カフェジャズの核になるPhoto: David Adam Kess / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) Moonlight Jazz Blueの最新リリースに耳を澄ましてみると、わかる。Rhodesコード、刷毛でたたかれたドラムス、アコースティックベース、弱音フルート、そして静かな即興演奏——これらが一つの「部屋の中」で共存している。ヘビーな圧縮処理や映画音楽的な壮大さではなく、「その場所に確かに音が鳴っている」という実在感が前面に出ている。 JA ZZ PARADISEの「シネマ・ジャズ」と世界観 JAZZ PARADISE、特に2026年のリリース「OTONA JAZZ~My Favorite Cinemas~」は、異なるアプローチを取っている。タイトルが示唆する通り、映画のようなナラティブを音楽で構築しようとしている。それでも、映画のサウンドトラックのような「説教的」な美しさではなく、観る者の内面に静かに働きかける質感を保っている。 彼らは2013年の始動以来、「カフェジャズ」「ラウンジピアノ」「BGM的な背景音楽」の定義を拡張し続けている。「Home Jazz - Jazz lounge Relaxing BGM」(2022)や「Summer Cafe Bossa」(2020)といった過去作から、彼らが一貫して追求しているのは、「無個性な環境音」ではなく「個性を持った無意識の音」である。 グローバル背景音楽市場の成長とジャズの位置付け 市場規模で見ると、グローバルな背景音楽市場は2026年時点で26億ドル規模で、2035年には47億ドルに達する見込みだ。成長率は年平均6.9%。これは決して爆発的ではないが、着実で持続的な需要の拡大を示している。 Spotifyは全体市場の31.7%、Apple Musicは12.6%を占める。ジャズはUS全体で0.8%程度のニッチジャンルだが、その中でも「カフェジャズ」「ラウンジピアノ」カテゴリは、若い世代の「モード検索」(“soft”、“emotional”、“mysterious calm"といった気分ベース)で上位に浮上している。 Moonlight Jazz Blue との協業者たち Moonlight Jazz Blueの協業ネットワークも注目に値する。「レイニーブルー」「First Love」「PIECE OF MY WISH」「僕と花」といったトラックは、JAZZ PARADISEとの共同制作やコラボレーションから生まれた。2016年の「Ballade in the Rain 〜少し切ない20のCafe Jazz Covers〜」は、両プロジェクトのシナジーを象徴する作品だ。 ...

2026年9月30日 · 1 分 · 148 文字 · kingsworksub-jpg

NEAジャズマスターズ2026、カルメン・ランディとアイルト・モレイラ、パトリス・ラッシェンの光彩

NEA Jazz Masters — National Endowment for the Arts が毎年、ジャズの歴史に刻印を残した生きる伝説たちを讃える賞がある。グラミー賞とは異なり、「我が国が音楽家に与え得る最高の栄誉」と謳われるこの賞は、1982年から40年以上、商業的成功ではなく、ジャズそのものへの貢献度で選抜されてきた。 2026年のNEA Jazz Masters は4人。このなかから、ヴォーカルのカルメン・ランディ、パーカッションのアイルト・モレイラ、キーボードのパトリス・ラッシェンという三領域の巨匠を取り上げたい。彼らは1970年代から1980年代にかけてジャズを再発明した世代であり、いま71歳以上の年齢でありながら、今なお現役で音楽を作り続けている。 カルメン・ランディ — 歌とオリジナル曲が編み上げる50年 自作曲150以上。自分の言葉で歌い続けた50年(イメージ) Photo: Fourandsixty / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) 1985年のデビュー・アルバム『Good Morning Kiss』は、ジャズ・チャートを23週間走り続けた。しかし、この女性シンガーの本当の力は、150以上の自作曲を手がける作曲家としての側面にあった。ジャズ・ヴォーカル界の多くが標準曲(スタンダード)を唄うなか、ランディは自分の言葉、自分の音で何十年も曲を書き続けてきたのだ。 2026年で71歳になるランディが、この50年のあいだに残した17枚のアルバムは、すべて彼女のオリジナル・スケッチで綴られている。直近の『Modern Ancestors』(2019)と『Fade to Black』(2022)はグラミー賞にも指名され、ジャズ・ヴォーカル部門で高く評価されている。 彼女の作曲の世界は、愛、信仰、家族、社会への問い、そして存在の意味へと向かう。ゴスペル、ブルース、ラテン、アフリカン・リズムをジャズに溶け込ませ、彼女自身の精神的・文化的な旅を音にしている。興味深いことに、ランディは同時にペインター・ドキュメンタリストでもあり、ニューヨークのケンケレバ・ギャラリーやThe Jazz Galleryで作品展示を重ね、2022年のDTLA Film Festivalでは『Nothing But The Blood』というドキュメンタリーでBest Music Documentary賞を獲得している。 音楽と映像が融け合った彼女の実践は、「人生の反省と芸術的な深掘りから生まれた」という言葉の意味を教えてくれる。UCLA Herb Alpert音楽学部で Global Jazz Studies の講師を務め、Harvard大学ではJazz Master in Residence の肩書きも持つ。ケネディ・センターのBetty Carter’s Jazz Ahead企画には1999年からずっと参加し続けている。 アイルト・モレイラ — ブラジル・パーカッションの革命児 カシシを鳴らして歌うアイルト・モレイラ Photo: Brian McMillen / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) 1941年8月5日生まれのアイルト・モレイラが13歳でプロ音楽家になったとき、ブラジルのジャズ・シーンでさえ、彼がもたらす衝撃の大きさを予見していた者は少なかったはずだ。 ...

2026年9月30日 · 1 分 · 171 文字 · kingsworksub-jpg

Newportは72年目、Montreuxは60年目。2026年のジャズフェスティバルを巡る

2026年、ジャズフェスティバルは単なる「音楽の祭典」ではなくなった。ニューヨークのピアノジャズから西海岸の融合サウンド、スイスの山頂の夏まで、世界中の音楽愛好家たちが同じ季節に同じリズムに心を揺さぶられている。 春が始まる前から秋まで、北米からヨーロッパまで、2026年のジャズフェスティバルシーズンは記録的なスケールと多様性を見せている。ここに集う音楽家たちは、ジャズの「古典的な言語」だけを話しているわけではない。ヒップホップ、エレクトロニック、R&Bと融合した新しい音たちが、幾何学的な波紋を広げている。 春の入口——アクセス可能な祭典 3月7日、フロリダの熱気の中で幕を開ける「Jazz in the Gardens」は、25周年を迎えた。Miami Gardens のハード・ロック・スタジアムが会場という決定は、このイベントがもう小規模な音楽祭ではなく、エンタテインメント・エコシステムの主要プレイヤーへと成長したことを示している。 Stephanie Mills、El DeBarge、Nelly & Ashanti、Robin Thicke——現れる顔ぶれは、ジャズ「本流」を超えている。むしろ、ジャズが時代とともに拡張してきた全領域——ソウル、R&B、ヒップホップ——を一堂に集めている。それは、ジャズを「歴史的な音楽」ではなく「生きた現在形」として位置付ける21世紀の発想だ。 5月のアトランタ。Memorial Day 週末の23日から25日、Piedmont Park に展開する「Atlanta Jazz Festival」は、1960年に遡る歴史を持つ。21年間にわたり、このイベントは「入場料無料・誰でも参加OK」を貫いてきた。Kamasi Washington、The Roots、Esperanza Spalding、Christian McBride——名前だけを見ると最高峰のジャズ・アーティストたちが、スタジアムロックのような大規模フェスの文脈ではなく、公園で日が沈むまで演奏し続ける。 この矛盾こそが、2026年のジャズフェスティバルの本質だ。最高の音楽家たちが、最も民主的な場所で、最も開かれた心で、観衆と向き合っている。アトランタのフェスは朝1時から夜11時まで続く。昼間は家族連れも草の上で聴く。夕方になると、真摯な音楽愛好家たちが三々五々集まってくる。その時間の積層こそが、アトランタ・ジャズ・フェスティバルをアメリカの心臓部に位置付けている。 夏の頂点——72年目の Newport と 60年目の Montreux 7月31日からニューポート。ロードアイランド州、フォート・アダムス州立公園の岬を舞台にした「Newport Jazz Festival」は、今年で72周年を迎える。日本からするとあまり実感がないかもしれないが、ロック、R&B、フォーク、音楽文化全般において、Newport は「現代音楽の実験場」だった。1963年のフォーク・フェスティバルで Bob Dylan が電気ギターを持ち込んだあの場所。その Newport が、2026年に何をしているか。 2025年のNewportに立つThe RootsのBlack Thought Photo: Vbrunophotog / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) Herbie Hancock、Charles Lloyd、Wynton Marsalis——ジャズの living legend たちを配置しながら、Jon Batiste、Thundercat、Robert Glasper、Joshua Redman といった中核メンバーたちが一堂に集う。ここまでなら「いつもの Newport」だ。だが 2026年の Newport の発表を見ていると、Vulfpeck、Snarky Puppy、Lake Street Dive といった、ジャズと呼ぶには「そっちの方が大きい」という種族が現れる。公式な表現は「boundary-pushing, genre-defying」——「境界を超える、ジャンルを定義し直す」。 ...

2026年9月30日 · 2 分 · 282 文字 · kingsworksub-jpg

Jon Batiste『Black Mozart』と山中千尋25周年、2026年のジャズ新作を聴く

2026年のジャズシーンを見渡すと、伝統的なアコースティック・ジャズのフォーマットを守り抜くだけでなく、クラシック、ヒップホップ、ポップスの境界線を軽やかに飛び越える作品群がひときわ鮮烈な輝きを放っている。時代の空気を鋭敏に捉えながら、自らの音楽的ルーツを再解釈するアーティストたちの動きは、いまやジャンルの定義そのものをアップデートしつつある。 今回は、そんな2026年の最前線において大きな話題を呼んでいる2つのトピック、Jon Batisteの新たな挑戦である『Black Mozart』と、日本を代表するピアニスト山中千尋のデビュー25周年を記念する足跡にスポットを当て、現代のジャズが鳴らす音の現在地を丁寧に紐解いていきたい。 Jon Batiste『Black Mozart』がもたらすクロスオーバーの衝撃 Jon Batiste — クロスオーバーの衝撃 Photo: StudioNotes ニューオーリンズの音楽的血統を受け継ぎ、グラミー賞受賞をはじめとする輝かしいキャリアを築いてきたJon Batiste。彼が2026年に放った新作『Black Mozart』は、クラシック音楽の巨匠たちが抱えていた歴史的文脈と、アメリカのルーツ音楽、そしてモダンジャズの即興性がダイナミックに交錯する意欲作に仕上がっている。 聴き手はまず、緻密に構築されたストリングスのアレンジと、荒削りでグルーヴに満ちたピアノの打鍵が同居する独特の世界観に圧倒される。クラシックの厳格な美しさと、ジャズが持つ肉体的な躍動感が、単なるフュージョンではなく極めてパーソナルな表現として結実している点が印象的だ。ジャンルの壁を意識させないそのアプローチは、近年の音楽シーン全体のボーダレス化を象徴しているように感じられる。 山中千尋25周年 — 研ぎ澄まされたピアノトリオの美学 山中千尋 — デビュー25周年の響き Photo: StudioNotes 一方、日本が世界に誇るジャズピアニスト・山中千尋は、デビュー25周年という節目の年を迎え、その演奏スタイルにさらなる円熟味と鋭さを加えている。ニューヨークを拠点に絶えず第一線で活動を続けてきた彼女のピアノは、圧倒的な技巧の奥底に常に知的な構成力と豊かな歌心が宿っている。 四半世紀にわたるキャリアを通じて彼女が貫いてきたのは、既存のジャズ・スタンダードやオリジナル曲に対する妥協のない探求心だ。近年の作品やステージで見せる演奏は、音数を削ぎ落としつつも空間の響きを最大限に活かすアプローチが際立ち、一音一音に込められた緊張感と解放感のバランスが絶妙である。長年ファンを魅了し続けてきたトリオ編成のダイナミクスは、2026年現在も進化のカーブを描き続けている。 新作アルバムが提示する2026年のリスニング環境 これらの一流アーティストたちが紡ぎ出す新作を聴いていると、現代のリスナーが音楽に求めるものの変化が鮮やかに見えてくる。ストリーミングサービスを起点としたプレイリスト文化が定着した今だからこそ、アルバム全体が一つの物語として緻密に構築された作品の価値が改めて高まっている。 Jon Batisteが壮大なスケールで提示する歴史的・文化的クロスオーバーと、山中千尋がピアノトリオという最小限の編成で突き詰める求道的な美学。方向性は異なりながらも、どちらの作品にも共通しているのは「過去の伝統に敬意を払いながら、今この瞬間のリアルな感情を音に刻む」という揺るぎない姿勢だ。2026年のジャズは、ジャンルの枠組みを超えた個人の表現として、かつてないほど自由に、そして力強く響き渡っている。

2026年9月29日 · 1 分 · 31 文字 · kingsworksub-jpg

「Tank!」から佐世保の喫茶店まで、アニメーションとジャズが出会う場所

アニメでジャズが鳴る場面は、だいたいこうなります。サックスが静かに立ち上がり、曲の最初の一音目で場面が切り替わり、キャラクターの代わりに音が主役の座を取ります。 この型がどこから来たのかを考えると、少し面白い事情が見えてきます。今までに辿った跳躍は、音が実際に生まれた側の地図——1940年代のビバップから1950年代のハードバップまでです。今回はその地図を裏返して、音が「雰囲気」として使われる側から見ます。 起点になるのは三つのアニメです。1998年の『カウボーイビバップ』、2012年の『坂道のアポロン』(海外では『Kids on the Slope』として知られます)、そしてその間の『スペースダンディ』。三つのうち二つの音楽は同じ人、菅野よう子でした。 そしてその菅野よう子が、ジャズについて少し風通しの悪いことを話しています。 「ジャズにしたい」という一言 1947年2月、ニューヨーク・カーネギーホール。マイクに口をつける Louis ArmstrongPhoto: William P. Gottlieb / Library of Congress(パブリックドメイン) 『カウボーイビバップ』の制作記録は、確かな数字の並びで組み立てることができます。テレビ東京での放送は1998年4月3日に始まりました。演出は渡辺信一郎、シリーズ構成は信本敬子、キャラクターデザイン兼作画指導は川元利浩。音楽は菅野よう子で、音楽プロデューサー佐々木史朗と太田敏明。アニメーション制作はサンライズです。 演出の渡辺が渡してきた指示は、たった一言でした。「ジャズにしたい」。それだけです。キャラの指定も、衣装の指定も、舞台の設定もありません。 この一点を受け止めたあとに来るのが、菅野がどう「ジャズ」という音楽の相手を取ったかという問題です。 音楽の録音には、米国のレコーディングエンジニアが関わっています。菅野はこう話しています。 「結局は、伝説的なジャズのレコーディングエンジニアであるルディ・ヴァン・ゲルダーさんにレコーディングに参加してもらいました。彼に参加を要請したのも私の判断です。私の判断というか、日本のスタジオのエンジニアさんに『ジャズといえば、ルディ・ヴァン・ゲルダーっていうすごい人がいるよ』って教えてもらって、よっしゃ!ってすぐに電話しちゃって」 van Gelder は1949年に自宅の居間で録音を始め、1959年に新しいスタジオに移った人です。以来50年以上、Blue Note と Impulse! のレコードを扱ってきました。つまり『カウボーイビバップ』の音は、1940年代の音源を直接使い回したものではなく、60年あとに別のスタジオで組まれたものになっています。 ピンとこなかった人が書いた 2010年7月2日、Anime Expo 2010 のステージで演奏する菅野よう子と中嶋美嘉Photo: Dennis Amith / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons 彼女のジャズ観は、穏やかではありません。こう語っています。 「渡辺信一郎監督から『ジャズにしたい』というキーワードだけは出ていたんですけど、私にはジャズがまったくピンと来なくて。だって、ジャズで売れたって聞いたことないし、学生のときのあのビアガーデンのバンドでもジャズなんて1曲もやってないし、CM音楽でもジャズ風の発注なんて全然なかったし。ジャズが真ん中を張ってるってイメージがないんですよ。そんなの絶対売れないし誰も観ないと思っていました」 さらに、こうも言っています。 「逆にジャンルを指示されたり、規定されたりしたら、私はサウンドトラックは書けないですね」 同じ人物が、こうも話します。 「絶対的に違うのは実写だとその場のタレントさんや俳優さんの演技に、脚本も変えうる力がある。けどアニメは最初に発想されたものから抜けることはできません」 アニメは最初の発想から抜けられない。だから渡された「ジャズ」は、物語のなかに初めからあった音楽ではなく、あとから加えられた音楽だった。 つまり、ジャンルを指定されたらサウンドトラックは書けないと言った人が、その指定の最初のひとつに手を出してしまった。予言の反対側にある出来事です。 十二話と、二十六話 テレビ東京での放送は、1998年4月3日から6月26日まででした。流れていたのは26本のうち12本と、まとめ番組の「よせあつめブルース」だけ。話も番号も、前後の折り返しです。 全部を通して見たのはWOWOWで、1998年10月23日に始まり、1999年4月23日まで続きます。最終回は第26話「The Real Folk Blues (PART 2)」でした。 2001年9月1日、劇場版『カウボーイビバップ 天国の扉』が公開されます。主題歌はシートベルツの「Ask DNA」、エンディングは山根麻衣が歌った「Gotta knock a little harder」。サウンドトラックは「FUTURE BLUES」という名前で発売されました。 ...

2026年9月29日 · 1 分 · 195 文字 · kingsworksub-jpg

Charlie ParkerとDizzy Gillespie、ビバップが生まれた1940年代ニューヨークの5年間

ビバップを語るとき、最後に戻りたい日がひとつあります。1945年11月26日、ニューヨークのブロードウェイ通り、WORスタジオで6曲が録音されました。アルトサックスはCharlie Parker、トランペットはDizzy Gillespie。曲名は「Ko-Ko」「Now’s the Time」「Billie’s Bounce」「Warming Up a Riff」「Thriving on a Riff」「Meandering」です。 この日、Parkerははじめて自分の名前で打分を持つセッションを録音しました。それまで約5年、彼は常に誰かの名前の下で吹いていました。Jay McShannのオーケストラ、Billy Eckstineの即興録音会、Tiny Grimes、Dizzy Gillespie、Sarah Vaughan、Red Norvo。技量はこの時点ですでに開いていた。それでも、自分の名前で鳴らす日が近いとは思っていなかった。 今回は、1940年代の前半から後半へ、音がどう移り、どこへ移ったのかを、録音日程と場所の地図の両方から辿ります。前半の終わりまでは即興録音会とラジオの放送が担い、1946年を境に固定されたクラブと入場料のついた夜のコンサートが並び始めます。聴いた人は自分からその場へ向かいます。 ミントンの扉 1947年9月ごろ、Minton's Playhouse。Thelonious Monk はこのクラブの house pianist を務めていたPhoto: William P. Gottlieb (Library of Congress) / Wikimedia Commons(パブリックドメイン) ビバップの空気は日曜の朝にありました。ニューヨークのWest 118th Street、St. Nicholas Avenueの角、Hotel Cecilの一階にMinton’s Playhouseがあります。開館したのはMonroe Henry Minton。建物は1895年から1896年にかけて建てられた5階建てで、扉はWest 118th Street側にあり、小さなプレートが貼られています。 Hotel Cecilは2023年6月27日にニューヨーク市指定の歴史的建造物になりました。さかのぼって1985年9月18日には国立史跡登録リストにも載っています。このビルは、黒人旅行者のための案内書、Negro Motorist Green Bookに1941年から1961年まで続けて載っていた。 常駐のドラムスは1941年からKenny Clarkeでした。常連バンドにはJoe Guy、Thelonious Monk、Nick Fentonが名を連ねています。日曜の朝の即興会がこのクラブの核心でした。そこから生まれた「52nd Street Theme」は、後にMonkのテーマ曲になり、Kenny ClarkeとHis 52nd Street Boysとして録音もされました。 地図に載せてみると、Minton’sはビバップを広めた最初の中心でした。52nd Streetがその次に来ます。この一軒の窓から出てきた音が、夜のニューヨークの空気そのものを塗り替えていきました。今もWest 118th Streetのその扉は残っています。 ...

2026年9月28日 · 2 分 · 373 文字 · kingsworksub-jpg

Miles Davis『Birth of the Cool』からChet Bakerの西海岸へ、クール・ジャズの時代

Chet Baker。1955年、27歳。若さそのものがスタイルの一部だったと写っているPhoto: Associated Booking Corporation(パブリックドメイン)/ Wikimedia Commons ビバップが最高潮に達したあとに現れたのが、クール・ジャズだ。音が一段引く。テンポは落ち、フレーズの端には空間が残り、サックスとトランペットを同じ帯域で押し合うのではなく、上下に分かれた。これは疲れた音楽ではない。ビバップの複雑さを残したまま、配置を組み替えた音楽――それがクール・ジャズである。 1950年代のジャズ史は、この冷えた音がどこで生まれ、どこへ波及したのかという物語として読むと整理しやすい。その発生地は1949年のニューヨーク。中心になったのは、22歳の Miles Davis だった。そして同じ時代に、もうひとつ別の線が、カリフォルニアで静かに開いている。 一九四七年の地下から 物語の起点は1947年にある。アレンジャー Gil Evans は、マディソン・アベニューから少し西へいった55番街、中国ランドリーの一階にある小さなアパートを賃っていた。Miles と Gil はこの部屋で、秋から冬にかけて曲を書いた。 Miles Davis はこの年にすでに24歳で、Charlie Parker Quintet の一員として、1945年から Bird と戦っていた当時随一の若手だった。やがて彼は自分の名前でバンドをつくるという決断をする。ただしMingusのように自分の名を冠するバンドではない。曲を書く者と、編成を整える者が、同じステージに立つ。音楽のつくり方が、ここから変わる。 1947年8月14日、Miles と Parker の quintet は8曲を録音した。ただしこれは『Birth of the Cool』の原型ではない。 1949年1月21日。正式な始まりはニューヨークの WOR Studio。Miles Davis Nonet と銘打たれた九人編成が最初のセッションを持つ。メンバーは Miles Davis(トランペット)、Lee Konitz(アルトサックス)、Gerry Mulligan(バリトンサックス)、John Lewis(ピアノ)、Nelson Boyd(ベース)、J.J. Johnson(トロンボーン)、Sandy Siegelstein(フランスホルン)、Bill Barber(チューバ)、そして Max Roach または Kenny Clarke(ドラム)。 サックスが減り、金管が増えた。 その楽器編成の設計が、この音楽のすべてを規定した。ビバップがサックスとリズムセクションだけで構成されていたのに対し、Nonet は立ち上がりの瞬間に全ての声部を鳴らした。音と音のあいだに、生まれたばかりの余白が残る。この余白を成立させたのが、クール・ジャズである。 クロード・ソーの器 九人編成の考えは、Miles が唐突に思い出したものではない。クロード・ソー(Claude Thornhill)のオーケストラから受け継いだものだった。Thornhill は Miles より年上で、Miles がシカゴにいた頃、その音楽から強い影響を受けている。Thornhill のオーケストラは、オーボエやフランスホルン、バリトンサックス、ベースクラリネットなど、柔らかい音色の管楽器を並べていた。1940年代のビッグバンドの中でも、異質な組み合わせだった。 ...

2026年9月27日 · 2 分 · 218 文字 · kingsworksub-jpg

ジャズ名盤入門、最初に聴きたい10枚を時代順に

「ジャズを聴きたいけれど、何から聴けばいいのか分からない」。YouTubeやサブスクで検索すれば名盤の名前は無限に出てくる。ところが、その「何から」が誰も教えてくれない。本稿はその疑いに、いちばん素直に答えることを目指した記事だ。古い記録から新しい名盤まで、時代順に並べた10枚を用意した。この順番で聴き進めれば、ジャズという100年を超える音楽が、流れと文脈を抱えたまま、一本の線として頭の中に入ってくるはずだ。 聴く順番は「時代」で決めるといい まずひとつ、前提を共有しておきたい。ジャズは幸いなことに、古いものほど分かりにくいということはない。むしろ、古い録音ほどリズムがはっきりしていて、メロディが剥き出しで、耳に入りやすかったりする。だから冒頭は、1920年代のルイ・アームストロングだ。そこから時代を一つずつ追いかければ、ハードバップの熱も、モーダルの浮遊感も、「なぜそうなったか」までセットで理解できる。マラソンではなく、地図を頭に描くための順番だと思うと、気楽に進められる。 ルイ・アームストロング/『ホット・ファイヴス&セヴンズ』(1925-28) 世界への放送で名を轟かせた「サッチモ」ルイ・アームストロング。ラジオがジャズを世界に広めた時代の象徴でもあるPhoto: Voice of America / パブリックドメイン / Wikimedia Commons ジャズの歴史は、この吹き手から実質的に始まる。1925年から1928年にかけて、シカゴの小さなスタジオで録音された「ホット・ファイヴ」「ホット・セヴン」の一連の記録は、それまでの合奏音楽だったジャズを、一瞬のソロで語る個人の音楽へと変えた。全曲を一人の即興が支配する『ウェスト・エンド・ブルース』(1928)の冒頭、これがジャズの「テーマのないオーケストラ」の誕生だ。トランペット、というより歌うような器楽の熱を知るには、いちばん最初に置くべき一枚である(トランペットという楽器の話はリズム隊とホーンから知る、ジャズの楽器入門で詳しく)。 デューク・エリントン/『ブラントン=ウェブスター・バンド』(1940-42) ジャズで初めて「作曲家」として本格的に名を残した男、デューク・エリントン。自らのオーケストラを楽器として使いこなしたPhoto: 出典不詳(パブリックドメイン)/ Wikimedia Commons 次に置きたいのは、スウィング黄金期の大楽団。デューク・エリントンは、ビッグバンドを個々の楽器奏者の寄せ集めではなく、一人の作曲家が設計する「生きた楽器」として扱った最初の人だ。1940年ごろのテナー奏者ベン・ウェブスターと、ベーシストのジミー・ブラントンの時期が最高潮で、その演奏を編んだこの2枚組は、大人の映画音楽のように品格がある。エリントンがいなければ、ジャズは「無学で楽しい音楽」のままだったかもしれない。ここで悠々たる大人の空気に一回浸っておくと、あとの名盤がぐっと味わい深くなる。 ソニー・ロリンズ/『サクソフォン・コロサス』(1956) ここからモダン・ジャズの時代だ。1940年代にチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーが切り拓いたビバップは、技巧の頂点としてジャズを芸術にした。その熱い遺産から、誰よりも耳に心地よい「歌う即興」を引き出したのが、テナーサックス奏者のソニー・ロリンズの『サクソフォン・コロサス』(1956)だ。カリブのリズムで始まる『セント・トーマス』、12小節ブルースの上で6分近くソロを続ける『ブルー・セヴン』。即興というものが、まずはここで「楽しい」であることを知ってほしい。サクソフォンの音色の話はリズム隊とホーンから知る、ジャズの楽器入門で触れている。 セロニアス・モンク/『ブリリアント・コーナーズ』(1956) 同じ1956年には、もう一人、誰にも似ていないピアニストが録音を重ねていた。セロニアス・モンクの『ブリリアント・コーナーズ』は、不協和音、跳ねるリズム、ぶっきらぼうな間。初めて聴くと「変だな」と思うのに、10回聴くとこの頭の中から離れなくなっている。モンクは通称「天才とは最も自分らしい人間のことだ」という言葉を残した男で、教会音楽とストライド・ピアノの底上げの上に、誰も真似できない個性を立てた。ジャズの「個性の解放」を体感する一枚だ。 マイルス・デイヴィス/『カインド・オブ・ブルー』(1959) 時代順の旅は、いよいよ中盤。ジャズ史上もっとも売れた、とされる一枚が1959年に登場する。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』だ。和音で縛られない、音階(モード)の上で旋律を自由に紡ぐ「モーダル」の手法は、ビル・エヴァンスの薄い和音とジョン・コルトレーンの息吹によって、霧のように淡い結晶を作り出した。『ソー・ワット』のベースライン、『オール・ブルース』の歌わせ方。ジャズを聴く人なら、生涯に一度はここに帰ってくる。このアルバムが開いたモーダル・ジャズの全貌はモーダルジャズという挑戦 — 『Kind of Blue』から『A Love Supreme』へで深くひもといている。 デイヴ・ブルーベック/『タイム・アウト』(1959) 同じ1959年、ウエスト・コーストからは、まったく別の角度の名盤が生まれた。デイヴ・ブルーベック『タイム・アウト』の代表曲『テイク・ファイヴ』は、珍しい5拍子(5/4)で書かれた曲でありながら、「ジャズに興味のない人でも一度は耳にしたことがある」と言われる、数少ない作品だ。サックス奏者ポール・デスモンドが書いた切れ味鋭いテーマと、規則正しいのに跳ねるリズム。変拍子は難しさではなく、遊びの領域で扱われるということを、このアルバムが証明した。 アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ/『モーニン』(1958-59) 中盤のもう一枚、ここでいよいよハードバップの熱へ。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』は、1958年10月に録音され、翌1959年にブルー・ノートからリリースされた。表題曲はピアニストのボビー・ティモンズが書き、ゴスペルとブルースの融合した「ファンキー」な熱気は、ジャズを知らない人が聴いても思わず体が動く。トランペットのリー・モーガン、テナーのベニー・ゴルソンと、スイングと切れ味を併せ持つ若い世代が揃い踏みだ。ブレイキーのドラムとブルー・ノートの黄金時代はアート・ブレイキーとブルー・ノート黄金時代、ハードバップの熱を名盤でたどるで詳しく。ここでハードバップの熱を体に入れてから、モーダルの霧へ戻ると、ジャズの相反する二つの熱が両方見えてくる。 チャールズ・ミンガス/『ミンガス・ア・ハム』(1959) 1959年はいわば「ジャズ史の奇跡の年」で、もう一枚捨てがたい名盤が生まれた。作曲家・ベーシストのチャールズ・ミンガス『ミンガス・ア・ハム』。ゴスペルの神殿のような『ベター・ギット・イット・イン・ユア・ソウル』、名スイング奏者レスター・ヤング(プレジデント)に捧げた『グッバイ・ポーク・パイ・ハット』。音楽教育で和声を学ばなかった男が、リズム楽器のコントラバスをリード楽器として歌わせ、楽団全体を一つのうねりでまとめた。ベースという楽器の描き方はリズム隊とホーンから知る、ジャズの楽器入門のコントラバスの項に書いたが、ミンガスはその「声」を誰よりも雄大に響かせた。 ビル・エヴァンス・トリオ/『ワルツ・フォー・デビー』(1961) 『ワルツ・フォー・デビー』録音の年に撮影されたビル・エヴァンス。リバーサイドの宣材写真家スティーブ・シャピロによる一枚Photo: Steve Schapiro / パブリックドメイン / Wikimedia Commons 1961年6月、ニューヨークのジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガード。ここで録音されたビル・エヴァンス・トリオの『ワルツ・フォー・デビー』は、ジャズのピアノ三重奏(ピアノ・トリオ)の金字塔だ。ピアノのビル・エヴァンス、ベースのスコット・ラファロ、ドラムのポール・モチアン。三つの楽器が四角く呼応しながら、めまいのするような一同で即興を重ねていく。客席のグラスの音や話し声まで残る生の空気が、「バーで聴く一枚」として長く愛される理由だ。繊細な和音の使い方という点では、モーダル・ジャズ期のエヴァンスに通じる(関連: モーダルジャズという挑戦、『Kind of Blue』から『A Love Supreme』へ)。 ジョン・コルトレーン/『ア・ラヴ・スプリーム』(1965) 1963年、オランダのフェスティバルに立つジョン・コルトレーン。翌年録音される『ア・ラヴ・スプリーム』の前夜、彼の音楽は祭りの熱気を帯びていたPhoto: Hugo van Gelderen / Anefo(CC0)/ Wikimedia Commons この10枚の締めに、ぜひ対峙してほしいのがこの一曲だ。ジョン・コルトレーン『ア・ラヴ・スプリーム』は、1964年12月に録音され、1965年にインパルス(Impulse!)から発表された。四つの楽章で構成された、まるで祈りの組曲。コルトレーンは、ジャズの達人たちの中でも歴然と異なる「気分」を持ったテナー奏者で、へたに知識を求めず、単に音として全身で受け止めるのが正しい鑑賞法だ。『カインド・オブ・ブルー』でモーダルを経験してから、ここに辿り着くのが、この10枚の設計図である。モードが自由の果てにどこへ広がったのか、その総決算でもある(関連: モーダルジャズという挑戦、『Kind of Blue』から『A Love Supreme』へ)。 ...

2026年9月24日 · 1 分 · 93 文字 · kingsworksub-jpg