ウイスキーの蒸溜所の貯蔵庫に入ると、まず空気の匂いに驚く。湿った土と古い木の匂いの奥に、甘くて少しつんとするアルコールの香りが漂っている。樽はすべて栓をされているのに、部屋全体がうっすら酔っているような空気だ。あの香りは、樽の木を通り抜けて外へ出ていったウイスキーそのものだと思うと、少し不思議な気持ちになる。
樽の中で眠っているあいだに、ウイスキーは少しずつ減っていく。スコットランドでは、その量は1年におよそ2%と言われている。造り手たちはこの目減りを、天使が持っていく取り分という意味で「エンジェルズシェア」と呼んできた。日本語では「天使の分け前」と訳されることが多い。この記事では、毎年消えていく2%を入り口に、熟成という時間が、育てる時間であると同時に失う時間でもあることを考えてみたい。
1年に2%という数字の重さ

2%と聞くと、ずいぶん小さな数字に思える。100リットルのうち2リットルだから、1年だけなら誤差のようなものだ。ところが、ウイスキーは1年では終わらない。スコッチは最低でも3年、店に並ぶものの多くは10年や12年、長いものは20年、30年と樽の中で過ごす。毎年その時点の中身から2%ずつ減っていくとすると、10年でおよそ8割、20年で3分の2、30年では半分を少し超える程度しか樽に残らない計算になる。
30年物のボトルが高価なのは、長く待ったからというだけではない。同じ樽から取れる量が、最初に詰めた量のおよそ半分にまで減っているからでもある。言いかえると、30年物の一杯の背後には、同じだけの量が空気の中へ消えていった時間がある。グラスに注がれた琥珀色の液体は、残った側の半分なのだと考えると、飲むときの気分も少し変わってくる。
スコットランドでは、二千万を超える樽が貯蔵庫で眠っていると言われる。そのすべてから毎年2%前後が抜けていくのだから、国全体で見れば膨大な量のウイスキーが、誰の口にも入らないまま空へ帰っていることになる。それを損失と呼ばずに「天使の取り分」と呼んだ昔の造り手たちの言葉選びには、あきらめと、どこかおおらかな感謝のようなものが混ざっているように感じる。
樽は呼吸している

なぜ減るのかといえば、樽が木でできているからだ。オークの板は金属のように完全に液体を閉じ込めるわけではなく、ごくわずかに外の空気と行き来している。板と板の継ぎ目や木目の奥を通って、中の水分とアルコールが少しずつ外へ出ていき、かわりに外の空気がわずかに入りこむ。この出入りがあるからこそ、ウイスキーは樽の中でゆっくりと酸素に触れ、荒々しい蒸溜したての味から、丸みのある味へと変わっていく。
つまり、目減りと熟成は別々の出来事ではない。樽が呼吸しているから中身が減り、呼吸しているから味が育つ。蒸発を完全に止めようとして樽を密閉してしまえば、ウイスキーはおそらく今のような味にはならない。失うことと得ることが、同じひとつの仕組みの表と裏になっている。この関係が、エンジェルズシェアという言葉のいちばん面白いところだと思う。
貯蔵庫の造りも、この呼吸の速さを左右する。昔ながらの貯蔵庫は、厚い石の壁に土の床で、樽を低く横に積み重ねる。外の気温が変わっても中はひんやりと湿ったまま保たれ、樽の呼吸もゆっくりになる。一方、樽を鉄の棚に高く積み上げる大きな倉庫では、上の段と下の段で温度の差が大きくなり、上のほうの樽ほど蒸発が速くなる。同じ蒸溜所の同じ年の原酒でも、どこに置かれたかで減り方も味も変わってくる。
暑い土地では、天使が欲張りになる
スコットランドの2%という数字は、冷涼で湿った気候があってこそのものだ。暑い土地では、樽の呼吸はずっと激しくなる。アメリカのケンタッキー州でバーボンを寝かせる熟成庫では、夏になると上の階が蒸し風呂のような暑さになり、年に4〜5%前後が抜けていく。台湾やインドの蒸溜所では、年に10%を超える目減りも珍しくないという。そうした土地では、天使ではなく悪魔の取り分だ、と冗談めかして言う人もいるらしい。
年に10%となると、話はまったく変わってくる。5年もすれば樽の中身は半分近くまで減ってしまう。スコットランドで30年かけて起きることが、わずか数年で進むわけだ。そのかわり、熱が木と原酒の触れ合いを速めるので、若いうちから色も香りも濃いウイスキーができあがる。暑い土地の蒸溜所が10年や12年で驚くほど深い味を出すのは、それだけ多くを空へ手放しているからでもある。
この違いを知ると、熟成年数という数字の見方も変わる。12年という表示は、どこで寝かせても同じ12年ではない。冷涼な土地のゆっくりした12年と、暑い土地の急ぎ足の12年では、樽の中で過ぎた時間の密度が違う。時計の針は同じように進んでも、樽が感じている時間はそれぞれに違うのだと思う。
度数が下がる土地、上がる土地

蒸発するのは水とアルコールの両方だが、どちらが多く抜けるかは空気の湿り気で変わる。スコットランドのように湿度の高い貯蔵庫では、まわりの空気がすでに水分をたっぷり含んでいるので、水は出ていきにくく、アルコールのほうが先に抜けていく。その結果、長く寝かせるほど樽の中の度数は少しずつ下がっていく。反対に、乾いた空気の熟成庫では水のほうが先に抜け、度数がむしろ上がっていくことがある。
スコッチウイスキーは、瓶に詰めるときに40%以上の度数がなければ、その名で売ることができない。湿った貯蔵庫で何十年も寝かせた樽は、量が減るだけでなく、度数も少しずつこの線に近づいていく。あまりに長く待ちすぎると、ある日、樽の中身がスコッチと名乗れない度数まで下がってしまうことがある。熟成を長くすればするほど良くなる、というわけではなく、どこかで樽から出さなければいけない時期が来る。
この事実には、少しせつないものを感じる。時間をかければ味は深まるけれど、時間をかけすぎれば、そのものとして存在できなくなる。造り手は、樽の中身を時々確かめながら、深まることと失われることの釣り合いが取れた時期を探している。熟成とは、ただ待つことではなく、いつ待つのをやめるかを決めることでもあるのだと思う。
貯蔵庫の壁を黒く染めるもの
蒸溜所のまわりを歩くと、貯蔵庫の壁や近くの建物、木の幹や標識が、すすをかぶったように黒くなっていることがある。これは汚れではなく、空気中のアルコールを栄養にして育つカビの一種だ。19世紀にフランスのコニャックの町で、ボードワンという薬剤師がこの黒いカビに気づいて記録したことから、その名を取って「バウドイニア」と呼ばれている。2007年には、カナダのトロント大学の菌類学者ジェームズ・スコットが遺伝子を調べ直し、独立した属として整理した。
天使の分け前は、どうやら天使だけのものではないらしい。樽から抜けたアルコールの一部は空へ昇り、一部は壁にとりついたカビの養分になっている。そう考えると、蒸溜所の黒い壁は、何十年ぶんのエンジェルズシェアが目に見える形で残った跡でもある。消えていったはずのウイスキーが、まったく別の命の形で、建物のまわりにしみついているわけだ。
失われたものが、どこか別の場所で別の形をとって続いている。そういう見方をすると、毎年の2%も、ただ消えてなくなるのではなく、貯蔵庫のまわりの小さな生態系を支える取り分なのだと感じられてくる。匂いに満ちた貯蔵庫の空気も、黒い壁も、同じ一つの流れの中にある。
樽の木に残る、もうひとつの取り分

樽から減っていくのは、空へ逃げる分だけではない。オークの板そのものも、何年もかけてウイスキーを吸いこんでいる。空になった樽を割ってみると、板の内側は深い色に染まり、強いウイスキーの香りがする。空へ消える分が天使の取り分なら、木の中に閉じ込められた分は悪魔の取り分だ、という言い方があり、アメリカのジムビームは2011年に、この木に染みこんだ原酒を取り出して加えたバーボンを「デビルズカット」という名前で売り出した。
天使と悪魔に取り分を渡して、最後に残ったものを人間が飲む。そういう構図で見ると、ウイスキーの一杯はずいぶん多くの相手と分け合った結果だということになる。2012年には、ケン・ローチ監督が『天使の分け前』という映画を撮り、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受けた。グラスゴーの若者たちがウイスキーに人生の行き先を見いだしていく物語で、題名の言葉そのものが、手に入らなかったはずのものを分けてもらうことの喜びを含んでいるように思える。
失うことで熟していくもの
エンジェルズシェアのことを考えていると、ウイスキーの話をしているつもりが、いつのまにか時間そのものの話になっていく。何かが育っていく時間は、同時に何かが少しずつ減っていく時間でもある。樽の中身は量を失いながら味を深め、度数を下げながら角を落とし、空へ消えた分は壁の黒いカビになって残る。得ることと失うことを、きれいに分けることはできない。
人の暮らしでも、似たようなことがあると思う。長く続けてきたことほど、最初の勢いや若さのようなものは少しずつ抜けていく。けれど、そのかわりにしか手に入らない落ち着きや深さもある。何も失わずに熟すことはできない、というのは、ウイスキーの樽が毎年2%ずつ教えてくれていることなのかもしれない。
今夜グラスに注ぐ一杯が12年物なら、その樽からはすでに2割ほどが天使たちのもとへ旅立っている。そう思いながら飲むと、少しだけ味わいがゆっくりになる気がする。残ったものを大切に飲むこと。それが、空へ消えていった分に対する、こちら側からのささやかな礼儀なのだと思う。