アニメでジャズが鳴る場面は、だいたいこうなります。サックスが静かに立ち上がり、曲の最初の一音目で場面が切り替わり、キャラクターの代わりに音が主役の座を取ります。
この型がどこから来たのかを考えると、少し面白い事情が見えてきます。今までに辿った跳躍は、音が実際に生まれた側の地図——1940年代のビバップから1950年代のハードバップまでです。今回はその地図を裏返して、音が「雰囲気」として使われる側から見ます。
起点になるのは三つのアニメです。1998年の『カウボーイビバップ』、2012年の『坂道のアポロン』(海外では『Kids on the Slope』として知られます)、そしてその間の『スペースダンディ』。三つのうち二つの音楽は同じ人、菅野よう子でした。
そしてその菅野よう子が、ジャズについて少し風通しの悪いことを話しています。
「ジャズにしたい」という一言

『カウボーイビバップ』の制作記録は、確かな数字の並びで組み立てることができます。テレビ東京での放送は1998年4月3日に始まりました。演出は渡辺信一郎、シリーズ構成は信本敬子、キャラクターデザイン兼作画指導は川元利浩。音楽は菅野よう子で、音楽プロデューサー佐々木史朗と太田敏明。アニメーション制作はサンライズです。
演出の渡辺が渡してきた指示は、たった一言でした。「ジャズにしたい」。それだけです。キャラの指定も、衣装の指定も、舞台の設定もありません。
この一点を受け止めたあとに来るのが、菅野がどう「ジャズ」という音楽の相手を取ったかという問題です。
音楽の録音には、米国のレコーディングエンジニアが関わっています。菅野はこう話しています。
「結局は、伝説的なジャズのレコーディングエンジニアであるルディ・ヴァン・ゲルダーさんにレコーディングに参加してもらいました。彼に参加を要請したのも私の判断です。私の判断というか、日本のスタジオのエンジニアさんに『ジャズといえば、ルディ・ヴァン・ゲルダーっていうすごい人がいるよ』って教えてもらって、よっしゃ!ってすぐに電話しちゃって」
van Gelder は1949年に自宅の居間で録音を始め、1959年に新しいスタジオに移った人です。以来50年以上、Blue Note と Impulse! のレコードを扱ってきました。つまり『カウボーイビバップ』の音は、1940年代の音源を直接使い回したものではなく、60年あとに別のスタジオで組まれたものになっています。
ピンとこなかった人が書いた

彼女のジャズ観は、穏やかではありません。こう語っています。
「渡辺信一郎監督から『ジャズにしたい』というキーワードだけは出ていたんですけど、私にはジャズがまったくピンと来なくて。だって、ジャズで売れたって聞いたことないし、学生のときのあのビアガーデンのバンドでもジャズなんて1曲もやってないし、CM音楽でもジャズ風の発注なんて全然なかったし。ジャズが真ん中を張ってるってイメージがないんですよ。そんなの絶対売れないし誰も観ないと思っていました」
さらに、こうも言っています。
「逆にジャンルを指示されたり、規定されたりしたら、私はサウンドトラックは書けないですね」
同じ人物が、こうも話します。
「絶対的に違うのは実写だとその場のタレントさんや俳優さんの演技に、脚本も変えうる力がある。けどアニメは最初に発想されたものから抜けることはできません」
アニメは最初の発想から抜けられない。だから渡された「ジャズ」は、物語のなかに初めからあった音楽ではなく、あとから加えられた音楽だった。
つまり、ジャンルを指定されたらサウンドトラックは書けないと言った人が、その指定の最初のひとつに手を出してしまった。予言の反対側にある出来事です。
十二話と、二十六話
テレビ東京での放送は、1998年4月3日から6月26日まででした。流れていたのは26本のうち12本と、まとめ番組の「よせあつめブルース」だけ。話も番号も、前後の折り返しです。
全部を通して見たのはWOWOWで、1998年10月23日に始まり、1999年4月23日まで続きます。最終回は第26話「The Real Folk Blues (PART 2)」でした。
2001年9月1日、劇場版『カウボーイビバップ 天国の扉』が公開されます。主題歌はシートベルツの「Ask DNA」、エンディングは山根麻衣が歌った「Gotta knock a little harder」。サウンドトラックは「FUTURE BLUES」という名前で発売されました。
1998年5月21日にはオリジナルサウンドトラックが出ています。1999年の3枚目のアルバム「BLUE」は、第13回日本ゴールドディスク大賞の「アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を取りました。
佐世保という土台

2012年4月12日から6月28日まで、フジテレビのノイタミナで12話が放送された『坂道のアポロン』は、制作がMAPPAと手塚プロダクション。監督と絵コンテ・演出は渡辺信一郎、音楽は菅野よう子。原作は小玉ユキの漫画で、2007年11月号から2012年3月号まで月刊フラワーズに連載され、全9巻です。
舞台は長崎県佐世保市。作者も佐世保市出身で、9月26日生まれ。作中の高等学校には、作者が自ら通った長崎県立佐世保北高校が使われています。
この町の音楽の土台は海軍でした。1887年に佐世保軍港の建設が始まり、海軍バンドの伝統が町のうちに根をついていきます。
1945年6月29日の空襲で市街は壊滅しました。1946年6月30日にアメリカ海軍が佐世保基地を設けました。
朝鮮戦争が始まった1950年6月以降、軍港の町にはダンスホールやキャバレーと「フォリーナー・バー」が軒を連ねました。
その時期、全国から集まったプロバンドは200近くに達しました。
今も続くクラブのEaselは1972年に開業しました。1991年には約4000人の客を集める野外イベントがはじまり、2024年には次の世代の受け皿として「佐世保JAZZジュニアアンサンブル」が結成されました。
アニメが描いた情景は1966年のものです。が、その下地になった文化は、今もこの町でつながっています。
24曲、すべて生演奏

アニメの音楽は、2012年4月25日にエピックレコードジャパンから発売されました。全24曲です。
演奏はすべて本物のミュージシャンです。ピアノは松永貴志、ドラムは石若駿、トランペットは類家心平、ギターと歌は古川昌義、ベースは鳥越啓介。歌唱には手嶌葵と南里侑香も入っています。
当時の石若駿は、まだ10代後半でした。演奏場面はカメラを10台以上動かして撮り、絵は一枚ずつ描かれています。
全24曲のうち、11曲

24曲のうち、実在するジャズの曲として並んでいるのは11曲です。
「Moanin’」「Bag’s Groove」「Blowin’ the Blues Away」「Satin Doll」「But Not for Me」「My Favorite Things」。
そして「Lullaby of Birdland」「Four」「Easy Waltz」「Milestones」「Someday My Prince Will Come」。
「Moanin’」は1956年にArt BlakeyのJazz Messengersが世に出した曲で、John Coltraneも参加していました。
「Milestones」「Satin Doll」「Four」「Someday My Prince Will Come」はMiles Davis、「Easy Waltz」はBill Evansのトリオが1961年に録ったものです。
「But Not for Me」は1930年代のガーシュウィン、「My Favorite Things」は1945年のロジャースとハマースタインです。
11曲の大半は、物語の舞台である1960年代半ばのジャズそのものでした。アニメはそれを、当時の録音としてではなく、2012年の演奏として録り直しています。
2009年には漫画の刊行に合わせた別のアルバムが出ており、2012年には本編に入らなかった曲を集めたアルバムも同時に発売されています。
喫茶店の地図

東京都港区南青山のBlue Note Tokyoは、1988年11月に開業しました。日本のジャズはここから、大きな会場で聴く時代に入ります。
その一方で、町の小さなジャズ喫茶は減り続けています。JAZZ協同組合が記録しているのは全国132軒で、東京だけで78軒、28都道府県に散らばっています。
開業年で最も多いのは1970年代の開業で45軒、全体の約3分の1に当たります。2000年代は26軒、2010年代は16軒、2020年代は10軒です。
現存する最も古い店は横浜の「ちぐさ」で1933年。次が1938年開業の「ナルシス」です。スピーカーはJBLが最も多く、音の記録がある81軒の62%を占めていました。
東日本大震災で店を失った例もあります。岩手県大槌町の一軒は1964年3月の開業で、2011年3月11日に店と約2万枚のレコードを失いました。店主は2018年に亡くなり、娘が2019年12月に建て直しています。
陸前高田市の「h.IMAGINE」は2003年12月20日の開業で、2011年に店を流され、2019年10月1日に再開しました。群馬県倉賀野の「Kura」は2005年から2019年まで営業し、2024年1月に別の店主で再開しています。
2024年の写真集『JAZZ KISSA 2024』は、全国30軒を撮影しています。うち12軒が2015年以降の開業で、東京にあるのは3軒だけでした。
その後、ジャズは主役になった
その後のアニメで、ジャズの立ち位置は変わっていきます。
2007年の『のだめカンタービレ』(J.C.Staff)の音楽は松谷スグル。物語の中心はクラシックで、ジャズは演奏者の即興として場面に入ってきます。サウンドトラックには「Nodame Rhapsody Jazz Version」という曲があります。
2014年1月5日に始まった『スペースダンディ』(ボンズ)の音楽も菅野よう子です。
2023年2月17日公開の『BLUE GIANT』は、石塚真一の漫画(ビッグコミック、2013年5月から2016年8月、全10巻)が原作。監督は立川譲、制作はNUT、音楽とピアノ役は上原ひろみです。
サックスは馬場智章、ドラムは石若駿。興行収入は13.0億円に達しました。
原作者は実写化を断っています。キャラクターが特定の俳優の顔に縛られないことを理由に挙げ、アニメーションを選びました。
2025年の『ラザラス』はMAPPAと渡辺信一郎の組です。劇伴はKamasi Washington、Floating Points、Bonoboがそれぞれアルバム全曲を書き、主題歌はKamasiの「Vortex」でした。
最後に残ったもの
1998年、菅野よう子はジャズについて「絶対売れないし誰も観ない」と言っていました。
その相手を引き受けた彼女の答えは、2012年に作り直されています。
『坂道のアポロン』は同じ渡辺信一郎、同じ菅野よう子。しかも音は本物でした。松永貴志も石若駿も実在のミュージシャンで、24曲のうち11曲が実在の曲です。
2013年、この作品は東京アニメアワードの音楽賞を取りました。2018年3月10日の実写映画は監督が三木孝浩、興行収入は約3.7億円です。
2024年、佐世保にはジュニアのアンサンブルが生まれました。1961年にアート・ブレイキーの一団が日本を訪れて以来の流れは、この町では途切れずに続いています。
この記事で名前だけ出た曲を聴きたくなったら、ジャズ名盤入門、最初に聴きたい10枚を時代順にに時代順で10枚を並べてあります。
硬派に攻めたい人は、Charlie ParkerとDizzy Gillespie、ビバップが生まれた1940年代ニューヨークの5年間とハードバップとブルー・ノート黄金時代から入るのもいいと思います。
アニメに流れていたジャズは消えました。残ったのは、ピアノが一台ある部屋と、そこへ人が集まる習慣です。
「Tank!」を口ずさめる人なら、もうジャズの入口に立っています。