ジャズの編成表を眺めていると、ピアノ・ベース・ドラムという三角形がいかに当たり前のものとして扱われているかに気づく。ところが1950年代の後半、その三角形からベースを抜いて、代わりに大きな木の箱を一台置いたバンドが、アメリカ東海岸の酒場を次々に埋めていった。箱の正体はハモンドB-3という電気オルガンで、その前に座っていたのはたいてい、右手でソロを弾き、左手でベースラインを刻み、足で低音のアクセントを踏む一人の奏者だった。

もともと教会のために作られた楽器が、どうしてジャズの真ん中に居座ることになったのか。この記事では、まず楽器そのものの仕組みを見て、そこからジミー・スミスという一人のオルガン奏者と、彼が残した名盤へ降りていく。仕組みを知ってから聴くと、あの分厚くて揺れる音がどこから来ているのかが、ずいぶん具体的に分かるようになると思う。

教会の代用品として生まれた電気オルガン

博物館に展示された1958年製のハモンドB-3。2段の鍵盤と足鍵盤が見える
1958年製のB-3。上下2段の鍵盤と、木製の足鍵盤Photo: bobistraveling / CC BY 2.0

ハモンドオルガンを考案したのは、シカゴで時計や機械の発明を手がけていたローレンス・ハモンドという人物だ。1934年1月に特許を出願し、同じ年の4月に認められている。翌1935年4月に一般にお披露目され、6月から最初の製品であるモデルAの出荷が始まった。

狙っていた市場ははっきりしていた。パイプオルガンを据え付ける予算も場所もない、町の小さな教会である。パイプオルガンは建物に合わせて設計する一品物で、値段も大きさも桁違いだ。ハモンドの電気オルガンは家具ほどの大きさに収まり、電源につなげばすぐ鳴る。大恐慌のさなかにあったアメリカで、この手軽さは十分な売り文句になった。

そこから約20年後の1954年に登場したのが、のちにジャズの代名詞になるB-3である。生産は1974年まで続いた。上下2段の手鍵盤はそれぞれ61鍵、足元には25音の足鍵盤があり、木のキャビネットに全部が収まっている。重さはおよそ190キロ(425ポンド前後)とされ、とても気軽に持ち運べる代物ではない。同じ中身を教会向けの落ち着いた外装に入れたC-3という兄弟機もあり、音の面では両者に違いはない。

B-3でとくに大きかったのは、パーカッションと呼ばれる機能が加わったことだ。鍵盤を押した瞬間だけ倍音を短く鳴らして、すっと消える。オルガンはもともと、鍵盤を押している間じゅう同じ音量で鳴り続ける楽器で、ピアノのような打鍵の手応えがない。パーカッションはそこに「打った」という輪郭を与えた。この機能が、のちにジャズの奏者たちがB-3を選ぶ決め手の一つになる。

91枚の歯車が鳴らす音、トーンホイールとドローバー

ハモンドB-2の2段鍵盤と、鍵盤の上に並ぶ白と黒のドローバー
B-3の前身B-2。鍵盤の上に並ぶ白黒の引き棒がドローバーPhoto: CJ Sorg from Hendersonville, United States / CC BY-SA 2.0

ハモンドの音の出どころは、電子回路の発振器ではなく、回転する金属の円盤である。トーンジェネレーターと呼ばれる長い箱の中に、縁が歯車のように波打った小さな円盤が91枚並び、一本の軸で一斉に回っている。それぞれの円盤のすぐそばには、磁石とコイルでできたピックアップが置かれていて、円盤の凸凹が近づいたり離れたりするたびに、コイルに微弱な電流が生まれる。凸凹の数と回転の速さで、その円盤が受け持つ音の高さが決まる仕組みだ。

軸を回しているのは同期モーターで、家庭用の電源の周波数にぴったり合わせて回る。だからハモンドはチューニングが狂わない。そのかわり、鍵盤ごとに音程を微調整することもできない。全部の音が機械的に結びついているという点で、オルガンというより巨大なオルゴールに近い楽器だと思う。

ハモンドオルガンのトーンジェネレーター内部。歯車状のトーンホイールとピックアップのコイルが並ぶ
トーンジェネレーターの内部。右の枠内に、歯車状のトーンホイールとピックアップが見えるPhoto: Peterbecker2000 / CC BY-SA 4.0

その音色をつくるのが、鍵盤の上に並んだドローバーという引き棒だ。1段の鍵盤につき9本あり、それぞれに16フィート、5と1/3フィート、8フィート、4フィート、2と2/3フィート、2フィート、1と3/5フィート、1と1/3フィート、1フィートという名前が付いている。パイプオルガンのパイプの長さに由来する呼び方で、8フィートが基音、それより短いものが倍音、16フィートが1オクターブ下の音にあたる。

1本のドローバーは0から8までの9段階で引き出せる。どの倍音をどれだけ混ぜるかを、指で棒を出し入れして決めるわけだ。手前の3本だけを全部引き出した「888000000」は、ジャズのオルガン奏者がまず覚える定番の設定として知られている。数字の並びで音色を言い表せるという手軽さも、奏者同士で音を伝え合ううえで役に立ったはずだ。

ちなみに、鍵盤を押すと9本分の接点がほぼ同時に、しかしわずかにずれて閉じるため、音の立ち上がりに「カチッ」という小さな雑音が混じる。設計上は欠点だったこのキー・クリックも、ジャズの奏者たちは歯切れのよいアタックとして好んで使った。楽器の癖が、そのまま音楽の語彙になっていった例だと思う。

回転するスピーカー、レスリーという相棒

木目のキャビネットに収まったレスリー122スピーカー
レスリー122。上の横長のスリットから高音、下から低音が回りながら出てくるPhoto: Salli / CC BY-SA 3.0

B-3の音を語るとき、オルガン本体と同じくらい重要なのが、横に置かれた背の高いスピーカーの箱である。考案者のドン・レスリーは、ハモンドの音が劇場のパイプオルガンに比べて平板に聞こえることに不満を持ち、1930年代の終わりから試行錯誤を重ねて、1941年に自分のスピーカーを売り出した。

仕組みは単純で、しかも大胆だ。箱の上半分には高音用のホーンがあり、これがモーターで水平にぐるぐる回る。下半分では、下向きに取り付けた大きなウーファーの前で、円筒形のドラムが回って低音を振り回す。音の出口が動き続けるので、聴き手に届く音は近づいたり遠ざかったりを繰り返し、音程と音量がわずかに揺れる。さらに部屋の壁に反射した音も混ざり合って、あの渦を巻くような響きになる。

回転の速さは2段階あり、ゆっくり回るのがコラール、速く回るのがトレモロと呼ばれる。ジャズの奏者はこの切り替えを演奏中に多用する。ソロが盛り上がる場面でトレモロに入れると、ローターが加速していく数秒の間に音がうねりながら熱を帯びていく。ホーンと低音のドラムでは加速の速さが違うので、その「ずれ」も独特の表情になる。

おもしろいのは、ハモンド社が当初このスピーカーとの協力を拒んでいたことだ。自社のオルガンの音に、よその会社の装置で手を加えられるのを嫌ったらしい。それでもレスリーは単体で売れ続け、ハモンドの持ち主のほとんどがこれをつないで鳴らすようになった。レスリーの会社は1965年にCBSへ売却され、1980年になってようやくハモンドがそのブランドを手に入れている。いまでは両者とも日本の鈴木楽器製作所の傘下にある。ハモンドのコンソール型オルガンに合わせて作られたのが写真の122で、ジャズのクラブで見かけるのもたいていこの型か、兄弟機の147だった。

ジミー・スミスが一人で三役を引き受けた

千鳥格子のジャケットを着て笑うジミー・スミスの1958年の宣伝写真
1958年の宣伝写真。『The Sermon!』を録っていた頃のジミー・スミスPhoto: Bruno of Hollywood, NYC / Public domain

ジミー・スミスは1928年12月8日、ペンシルヴェニア州ノリスタウンに生まれた。両親ともにピアノを弾く家庭で、本人も最初はピアノから入っている。海軍での兵役を終えてからフィラデルフィアの音楽学校で学び、1950年代の前半にハモンドへ乗り換えた。

オルガンでジャズを弾いた人は彼以前にもいた。ルイ・ジョーダンのバンドでピアノを弾いていたワイルド・ビル・デイヴィスは、1950年ごろからオルガンに転向し、オルガン・ギター・ドラムという三人編成の原型をつくっている。ただ、その演奏はまだスウィングやリズム・アンド・ブルースの延長にあった。スミスが持ち込んだのは、チャーリー・パーカーやバド・パウエルの流れをくむビバップの速さと語法だった。サックス奏者のように切れ目なく長いフレーズを右手で弾き、和音をまぶし、そのうえ自分でベースも受け持つ。

ベースの弾き方にも彼なりの工夫があった。足鍵盤だけで速いウォーキング・ベースを弾くのは難しいので、ラインそのものは下の鍵盤を左手で弾き、足は音の頭に合わせて低音を軽く踏み、ベースの弦をはじいたときのようなアタックを足す。左手と足で一人のベース奏者を合成するやり方である。これが、のちのオルガン奏者たちの基本形になった。

1956年、フィラデルフィアからニューヨークのクラブへ出てきたスミスの演奏を、ブルーノートを率いるアルフレッド・ライオンが聴き、すぐに契約を結んだ。同じ年に出たデビュー作のタイトルは『A New Sound… A New Star…』。看板どおり、ジャズにとってまったく新しい音として売り出されたわけだ。そこから1963年ごろまで、彼はブルーノートで驚くほどの数の録音を残し、レーベルの屋台骨の一人になっていく。

名盤へ降りていく、『The Sermon!』と『Back at the Chicken Shack』

楽器の仕組みが頭に入ったところで、聴く順番を一つ提案したい。最初の一枚は『The Sermon!』がいいと思う。1957年8月と1958年2月にマンハッタン・タワーズ・ホテルのボールルームで録音され、1959年に出たアルバムで、表題曲は20分を超える長尺のブルースだ。リー・モーガンのトランペット、ルー・ドナルドソンのアルト、ティナ・ブルックスのテナー、ケニー・バレルのギター、アート・ブレイキーのドラムという顔ぶれで、ベース奏者はいない。

この曲で注目したいのは、管楽器が順番にソロを回している間、スミスがどう伴奏しているかだ。左手のベースラインは止まらずに歩き続け、右手は短い和音を刻んだり、ソロの切れ目に合いの手を入れたりしている。ピアノとベースの二人がやる仕事を、一人が一台でこなしている様子がよく聴き取れる。20分という長さも、教会の説教がだんだん熱を帯びていくような展開になっていて、タイトルの「説教」が比喩ではないことが分かる。

二枚目は『Back at the Chicken Shack』。1960年4月に録音されながら、発売は1963年までずれ込んだアルバムだ。編成はスタンリー・タレンタインのテナー、ケニー・バレルのギター、ドナルド・ベイリーのドラムとぐっと絞られていて、オルガン・トリオにサックスを一本足した形になっている。表題曲のゆったりした跳ねるリズムは、のちにソウル・ジャズと呼ばれる音楽の手触りそのものだと感じる。タレンタインの太いテナーが前面に出てくるのも、このアルバムの大きな魅力だ。

三枚目には、1962年にヴァーヴへ移ってからの『Bashin’』を挙げておきたい。オリヴァー・ネルソンが編曲したビッグバンドを背に、「Walk on the Wild Side」でスミスのオルガンが大編成のブラスとぶつかり合う。続く1964年の『The Cat』ではラロ・シフリンの編曲で、映画音楽のような派手さが加わった。ブルーノート時代の小編成と聴き比べると、同じ楽器がこれほど違う場所に立てるのかと驚かされる。

ベース奏者のいないバンドと、その後のオルガン奏者たち

オルガン・トリオがこれほど広まった理由の一つは、純粋に経済的なものだったと思う。ベース奏者を雇わなくてよいので、3人で4人分の厚みの音が出せる。フィラデルフィアやニュージャージー州ニューアークといった町の酒場には、店の備品としてハモンドを置いているところも少なくなく、奏者は身一つで出向けばよかった。アフリカ系アメリカ人の聴き手が集まるこうした店の回路の中で、オルガン・トリオはブルースやゴスペルの手触りを持つダンサブルなジャズを毎晩鳴らし続けた。

スミスのあとには、多くのオルガン奏者が続いた。フィラデルフィア生まれのシャーリー・スコットは「ジャズ・オルガンの女王」と呼ばれ、ジミー・マクグリフは1962年の「I’ve Got a Woman」をヒットさせ、ブラザー・ジャック・マクダフやリチャード・グルーヴ・ホームズも、それぞれの持ち味でソウル・ジャズを広げた。ホームズが1965年に録音した「Misty」は、オルガンのバラードとしていまも人気が高い。

一方で、オルガンをまったく別の方向へ連れて行った人もいる。ニューアーク出身のラリー・ヤングは、1965年にブルーノートで録音した『Unity』で、ブルースの語法から離れ、ジョン・コルトレーンの時代のモード・ジャズをオルガンで弾いてみせた。ドローバーとレスリーがつくる響きが、和音の重なりの曖昧さとよく合っていて、ソウル・ジャズとは違う冷たい輝きがある。スミスの次に聴く一枚として、あえてこちらを選ぶのもおもしろいと思う。

1970年代に入ると、ハモンドはB-3の生産を終え、電子回路で音をつくる機種へと移っていった。重くて運びにくいB-3は一度ジャズの表舞台から遠のいたが、1980年代の終わりにジョーイ・デフランセスコが現れて流れが変わる。10代でマイルス・デイヴィスのバンドに加わったこの奏者は、2022年に51歳で亡くなるまで、オルガンを現代のジャズの中心に据え直した。2021年に亡くなったドクター・ロニー・スミスも、ターバン姿で最後までB-3を鳴らし続けた一人だった。

いま、あの音はどこで鳴っているのか

本物のB-3は製造から50年以上たち、トーンジェネレーターの給油やモーターの整備を欠かせない「生き物」のような楽器になっている。いまでも中古のB-3と122の組み合わせを大切に使い続けるクラブや奏者はいるが、ツアーの現場ではハモンド自身が作るデジタルのオルガンが主流になった。現行の主力であるXK-5は、トーンホイールの鳴り方や鍵盤ごとの接点の閉じ方までを再現し、デジタルのレスリーも内蔵している。重さは本物の何分の一かで、車に積んで運べる。

それでも、レスリーだけは実物の回転するスピーカーを使いたいという奏者は多い。ホーンが空気をかき回し、部屋の壁で跳ね返った音が混ざり合う感じは、まだ完全には電子回路に置き換えられていないのだと思う。ハモンドはいまもレスリーの新しいスピーカーを作り続けていて、伝統的な木のキャビネットに真空管のアンプを積んだ122XBのような復刻機もある。

教会の小さな礼拝堂のために生まれた楽器が、1950年代の酒場でベース奏者の席を奪い、ビバップの速さとゴスペルの熱をいっしょに鳴らすようになった。『The Sermon!』を聴きながらその道のりを思い出すと、20分のブルースがほんとうに説教のように聞こえてくる。B-3の左手がどこでベースを弾き、足がどこで低音を踏んでいるか。それを追いかけるつもりで一度聴いてみると、オルガン・ジャズの景色がずいぶん立体的になるはずだ。

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