ジャズのレコードを年代順に並べて聴いていくと、1970年前後のどこかで、急に部屋の空気が変わる瞬間がある。それまで木と真鍮と羊の腸の弦でできていた音に、電気の唸りが混ざりはじめるのだ。ピアノの代わりに金属の棒を叩く電気ピアノが鳴り、ウッドベースの隣にエレクトリック・ベースが並び、やがて鍵盤の上には配線だらけの箱が載るようになる。のちにフュージョンと呼ばれることになる音楽の、最初の10年である。
この時代の話になると、ロックの音量を取り入れた、売れ線に寄った、という言われ方をされがちだ。たしかにそういう面もある。けれど、当時の代表的なバンドを順に聴き直していくと、もっと具体的な変化が見えてくる。いちばん大きいのは、ベースと鍵盤の役目が入れ替わったことだと思う。それまで低音を支える係だったベースが旋律を歌いだし、和音を弾く係だった鍵盤が、オーケストラの代わりになったり、ときには低音そのものを受け持ったりするようになった。この記事では、その入れ替わりを軸に、1970年代のフュージョンが何を手放して何を得たのかをたどってみたい。
『In a Silent Way』と『Bitches Brew』、スタジオで組み立てられた電気のジャズ

入口になるのは、やはりマイルス・デイヴィスの2枚だ。1969年2月18日に録音され、同じ年の7月に出た『In a Silent Way』には、ジョー・ザヴィヌル、ハービー・ハンコック、チック・コリアという3人の鍵盤奏者が同時に参加している。ピアニストを3人も並べるのは普通のジャズの発想ではないが、ここで彼らが弾いているのは主に電気ピアノとオルガンで、それぞれが和音を鳴らすというより、細かい音の粒を重ねて一枚の布のような響きを作っている。表題曲を書いたのはザヴィヌルで、このあとの10年を考えると、彼がこの場にいたことはとても大きい。
電気ピアノの代表格だったFender Rhodesは、1965年ごろから出回りはじめた楽器である。鍵盤を押すとハンマーが細い金属の棒を叩き、その振動を磁石のピックアップが拾う。ピアノのように弦を響かせるわけではないので、音は丸く、少し鐘に似た余韻が残る。アンプを通すので音量も自在で、ドラムやギターの隣でも埋もれない。1970年には73鍵のステージ型が出て、持ち運べる鍵盤としてクラブやツアーの現場に広がっていった。
同じ年の8月19日から21日にかけて録音され、1970年3月に出たのが『Bitches Brew』だ。ここではウッドベースのデイヴ・ホランドの隣に、エレクトリック・ベースのハーヴィー・ブルックスが並んでいる。低音を2人で重ねるという編成からして、もうピアノ・ベース・ドラムの三角形とは別の発想である。プロデューサーのテオ・マセロは、長時間の演奏を録ったテープを切って貼り合わせ、曲の形をあとから作っていった。演奏の記録というより、スタジオで組み立てられた音楽と言ったほうが近いと思う。
この2枚で手放されたものははっきりしている。アドリブの順番が回ってくる構成、テーマとソロとテーマで終わる曲の型、そしてピアノが和音で伴奏するという役割分担だ。代わりに得たのは、長い時間をかけて少しずつ形を変えていく響きと、電気の楽器ならではの音色の幅だった。参加したザヴィヌル、ショーター、コリア、ハンコックは、ここで得たものを持って、それぞれ自分のバンドへ散っていく。
Weather Report、全員がソロで誰もソロではないバンド

ザヴィヌルとウェイン・ショーターが、チェコ出身のベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウスと組んで1970年に結成したのがWeather Reportである。1971年5月にコロムビアから出たデビュー作『Weather Report』では、ザヴィヌルはまだ主に電気ピアノを弾いていて、シンセサイザーは使っていない。それでも、このアルバムの聴こえ方はそれまでのジャズとまったく違う。
いちばん驚くのはヴィトウスのウッドベースだ。弓で長い音を引いたり、高い音域で短いフレーズを投げたりして、ほとんど低音を刻まない。ベースが拍を数える係をやめて、サックスや鍵盤と対等に旋律のやりとりに加わっている。その分、拍の流れはドラムとパーカッションが細かく受け持ち、鍵盤とサックスは空いた空間に音を置いていく。誰か1人がソロをとり、残りが伴奏に回るという関係が、ここではほとんど見えない。
Weather Reportには「全員がいつもソロをとっていて、同時に誰もソロをとっていない」という意味の有名な言い回しがある。初期のアルバムを聴くと、この言葉が理想論ではなく、そのまま音の作り方を説明していることがよく分かる。主役と脇役を決めずに、全員が少しずつ前に出たり引いたりしながら、一つの天気図のような響きを描いていく。バンド名に天気予報という言葉を選んだのも、うまいと思う。
ただ、この自由なやり方には弱点もあった。拍をはっきり刻む人がいないと、聴き手は音楽のどこに体を預ければいいのか分からなくなる。1970年代の半ばにかけて、バンドはこの問題に向き合い、少しずつ別の答えを探していく。その答えの一つが、ザヴィヌルの鍵盤の上に載ったシンセサイザーだった。
ARP 2600が持ち込んだ、オーケストラの代わりの音

ザヴィヌルは1971年ごろからARP 2600というシンセサイザーに触れはじめ、1973年の『Sweetnighter』のあたりから、これを本格的にバンドの音へ組み込んでいった。ARP 2600は、発振器やフィルターといった部品がパネルに並び、それをケーブルでつなぎ替えて音を作る仕組みの楽器である。1台では基本的に単音しか出ないが、ザヴィヌルは2台を並べて使い分け、ときには複数台をつないで和音のような厚みを出していた。
ここで鍵盤の役目が大きく変わる。電気ピアノのころは、鍵盤はまだ和音を鳴らす楽器だった。ところがシンセサイザーを手にしたザヴィヌルは、管楽器の合奏のような音、弦楽器の群れのような音、風や水のような音を、一人で次々に呼び出していく。小さな編成のバンドの中に、もう一つ見えないオーケストラを抱えたようなものだ。和音を弾く係から、楽団そのものを受け持つ係へ。鍵盤の仕事は、このとき一気に広がったと思う。
同じころ、ベースの席にも変化があった。1974年の『Mysterious Traveller』から加わったアルフォンソ・ジョンソンはエレクトリック・ベースの奏者で、ヴィトウスのころよりも、ずっとはっきりしたリズムを刻む。ファンクに近い跳ねたグルーヴが前に出てきて、バンドの音楽は体で受け止めやすくなっていった。鍵盤が音の景色を広げ、ベースが足場を固める。この時期のWeather Reportは、初期の自由さと聴きやすさの間で、いちばんバランスがよかったように感じる。
「Chameleon」の低音を弾いたのはベースではなかった
鍵盤が低音まで引き受けてしまった例として、どうしても外せないのがハービー・ハンコックの『Head Hunters』だ。1973年9月に録音され、同じ年の10月にコロムビアから出たこのアルバムは、ベニー・モウピンの管、ポール・ジャクソンのベース、ハーヴィー・メイソンのドラム、ビル・サマーズのパーカッションという編成で作られている。
1曲目の「Chameleon」は、短い低音のフレーズの繰り返しで始まる。このあまりに有名なベースラインを弾いているのは、ベーシストではなく、ハンコック自身が操るARP Odysseyというシンセサイザーである。持ち運べる大きさのアナログ・シンセで、鋭くて太い音が出る。続いてポール・ジャクソンのエレクトリック・ベースが入り、シンセの低音と絡み合いながら、15分を超える長い曲を引っ張っていく。
ハンコックはその少し前まで、ムワンディシと呼ばれる時期に、かなり実験的で抽象的な音楽をやっていた。『Head Hunters』では一転して、スライ・ストーンのようなファンクの手触りに思いきり寄せている。鍵盤奏者がシンセで低音を弾き、ベーシストは跳ねたフレーズで隙間を埋める。役割の境目が曖昧になったぶん、全体の音はかえって引き締まって聴こえる。
このアルバムは大きく売れ、ジャズの作品として初めてプラチナ認定を受けたアルバムとして知られるようになった。古くからのジャズの聴き手には、商業主義に流れたと受け取った人も少なくなかったはずだ。けれど、ARP Odysseyの低音とRhodesの和音、クラヴィネットの歯切れのよいカッティングが重なるこの音は、のちのヒップホップやダンス音楽にまで長い影を落としている。1940年生まれのハンコックは、2026年のいまもステージに立ち続けている。
Return to Forever、ラテンの軽さからロックの音量へ

チック・コリアのReturn to Foreverは、同じ「電気化」でもまったく違う道筋をたどったバンドだ。1972年2月に録音され、ECMから出たデビュー作『Return to Forever』の編成は、コリアの電気ピアノ、スタンリー・クラークのウッドベース、ジョー・ファレルのフルートとソプラノ・サックス、アイアート・モレイラのドラムとパーカッション、フローラ・プリムの歌。ブラジル音楽の風通しのよさを持った、軽やかで歌心のある音楽だった。翌1973年の『Light as a Feather』には、コリアの代表曲になる「Spain」が入っている。
ところが1973年の『Hymn of the Seventh Galaxy』で、バンドはがらりと姿を変える。ビル・コナーズのエレクトリック・ギターとレニー・ホワイトのドラムが加わり、音量も速さもロックのそれに近づいた。1974年にはまだ19歳だったアル・ディ・メオラがギターに入り、1975年の『No Mystery』でグラミー賞を受け、1976年の『Romantic Warrior』では組曲のような長い構成に挑んでいる。コリアの手元にはRhodesに加えてミニモーグなどのシンセサイザーが並び、ギターと鍵盤が速いユニゾンで駆け抜けていく。
この変化の真ん中にいたのが、ベースのスタンリー・クラークだと思う。彼はウッドベースとエレクトリック・ベースの両方を弾きこなし、エレクトリックでは指で弦をはじく強いアタックで、ベースをギターのように前へ押し出した。1976年のソロ作『School Days』の表題曲は、ベースが主旋律を弾くロック曲として、いまも多くのベーシストに弾き継がれている。
Return to Foreverが手放したのは、デビュー作にあった風のような軽さだ。そして得たのは、大きな会場でも負けない音量と、ベースを含む全員が速弾きで主役を張れる編成だった。どちらの時期が好きかは聴き手によってはっきり分かれそうで、私はデビュー作のほうについ手が伸びてしまう。ただ、2008年に再結成したときの演奏を聴くと、ウッドベースとグランドピアノに戻った場面にも、あの電気の時代をくぐった人たちならではの強さがあるように感じる。コリアは2021年2月に亡くなったが、クラークはいまも演奏を続けている。
ジャコ・パストリアス、フレットを抜いたベースが歌いはじめる

ベースが旋律楽器になるという流れを、いちばん遠くまで押し進めたのがジャコ・パストリアスだ。1951年にペンシルベニア州で生まれ、フロリダで育った彼は、Fender Jazz Bassのフレットを自分で抜き取り、指板をなめらかにした楽器を弾いていた。フレットがないと、音程は弦を押さえる指の位置だけで決まる。そのぶん音と音の間を滑らかにつなげられ、ウッドベースのようなうねりと、エレクトリックの伸びのある音を同時に手に入れられる。
1976年、ジャコはWeather Reportの『Black Market』の2曲に参加し、そのまま正式なメンバーになった。同じ年には自分の名前を冠したソロ・アルバムも出していて、そこに収められた「Portrait of Tracy」は、ほとんど全編をハーモニクスと呼ばれる倍音の奏法だけで組み立てた曲である。弦の特定の位置に軽く触れてはじくと、鐘のように澄んだ高い音が鳴る。ベースという楽器から、こんな音が出せるのかと驚いた人は多かったと思う。
翌1977年の『Heavy Weather』は、Weather Reportでいちばん売れたアルバムになった。冒頭の「Birdland」はザヴィヌルの曲で、シンセサイザーの低いフレーズで静かに始まり、そこへジャコのベースがハーモニクスで旋律を重ねていく。低音をシンセが受け持ち、ベースが高い音で歌う。この記事の最初に書いた役割の入れ替わりが、たった一曲の冒頭にそのまま詰まっている。
ジャコは1980年代のはじめにバンドを離れ、1987年9月、35歳の若さで亡くなった。それでも、フレットレスのベースで旋律を歌わせるという発想は、ジャズだけでなくロックやポップスのベーシストにまで広く受け継がれている。ベースの音をはっきり聴き取ろうとして、初めてスピーカーに耳を近づけたのは、たぶん多くの人にとってジャコのレコードだったはずだ。
10年で手放したもの、手に入れたもの
1970年代のフュージョンを振り返ると、手放したものはいくつも挙げられる。ピアノの和音が支える伴奏、ウッドベースが一定の拍を刻む安心感、テーマとソロが順番に回る曲の型、小さなクラブの親密な音量。どれも、それ以前のジャズが大切にしてきたものだ。電気楽器を嫌う聴き手が多かったのも、そうした手触りが消えていくことへの寂しさがあったからだと思う。
一方で、手に入れたものもはっきりしている。シンセサイザーを手にした鍵盤奏者は、和音を弾く係から、管弦の合奏や風景のような音、ときには低音そのものまで受け持つ係になった。ベースはフレットを抜いたり、強いアタックで弦をはじいたりしながら、伴奏の係から旋律を歌う係へ移っていった。楽器の役目が固定されなくなったことで、少人数のバンドでも、ずっと大きな音の景色を描けるようになったのだと思う。
Weather Reportは1986年に活動を止め、ザヴィヌルは2007年、ショーターは2023年に亡くなった。電気の楽器も、その後は大きく形を変えている。それでも、ベースが歌い、鍵盤が低音や合奏を受け持つという発想は、いまの宅録やバンドの音作りのあちこちに残っている。
これから聴くなら、順番は『In a Silent Way』から始めて、Weather Reportのデビュー作、『Head Hunters』、Return to Foreverの『Light as a Feather』と『Romantic Warrior』、最後に『Heavy Weather』と進むのがいいと思う。ベースの音がどこで鳴っているか、鍵盤がいまどの係をしているか。その2つだけを追いかけながら聴くと、10年の間に起きた入れ替わりが、驚くほどはっきり耳に入ってくるはずだ。