ある歌手の代表作を挙げるとき、たいていは一番売れた盤か、一番有名な曲が入った盤が選ばれる。ランディ・クロフォードの場合、その答えは1980年の『Now We May Begin』か、もっと言えば彼女の名前が小さくしか出ていない他人のアルバム——クルセイダーズの『Street Life』になってしまう。

その手前に、『Raw Silk』という一枚がある。1979年2月、ワーナー・ブラザーズから出た3枚目のアルバムだ。チャートはほとんど動かず、シングルも跳ねなかった。けれど、この盤を通して聴くと、半年後に彼女の声が世界中のラジオから流れることになる理由が、もうほとんど全部そろっているのが分かる。

1979年2月に出た、3枚目のワーナー盤

ステージでマイクを持って笑うランディ・クロフォード
白いブラウス一枚で立つ。声の出し方は昔から変わっていないPhoto: Alberto Cabello from Vitoria-Gasteiz, Spain / CC BY 2.0

ランディ・クロフォードは本名をヴェロニカ・クロフォードといい、1952年2月18日にジョージア州メイコンで生まれ、オハイオ州シンシナティで育っている。10代のうちからクラブで歌い、ワーナー・ブラザーズと契約したのが1970年代半ば。デビュー作『Everything Must Change』(1976年、スチュアート・レヴァインの制作)、続く『Miss Randy Crawford』(1977年、ボブ・モンゴメリーの制作)と来て、3枚目が『Raw Silk』になる。品番はアメリカ盤がBSK-3283、英国盤がK 56592。

ここまでの流れで目を引くのは、2枚続けて制作者が入れ替わっていることだ。『Miss Randy Crawford』はマッスル・ショールズのFAMEスタジオを軸に録られていて、デビュー作のニューヨーク/ハリウッド録音とはそもそも土地が違う。そして『Raw Silk』ではまたプロデューサーが変わり、ステファン・ゴールドマンが入る。エンジニアはビリー・テイラーとジェフリー・カワレック。3枚で3人目の制作者という事実は、レーベルがこの歌手をどう売ればいいのか決めあぐねていたことを、そのまま示しているように思う。

売上の数字は正直なところ寂しい。アメリカではビルボード200に入らず、R&Bアルバム・チャートで63位、ジャズ・チャートで35位どまり。英国のアルバム・チャートには顔を出していない。唯一ノルウェーで37位まで上がっているのが、のちのヨーロッパでの人気を思えば示唆的ではある。

11曲のうち10曲は、他の誰かが先に歌っていた

制帽をかぶって笑うランディ・クロフォードのモノクロ・ポートレート
笑い方まで歌のうち、と思わせる人だったPhoto: Stuart Mentiply / GFDL 1.2

このアルバムで一番おもしろいのは、収録された11曲のうち、彼女自身が書いたのが「I Got Myself a Happy Song」のただ1曲だという点だ。残り10曲はすべて、他の誰かがすでに世に出した歌である。

A面は「I Stand Accused」で始まる。ジェリー・バトラーとビリー・バトラーの兄弟が書いた、1964年のシカゴ・ソウルの名曲だ。続く「Declaration of Love」はアラン・トゥーサン、「Someone to Believe In」と「Endlessly」はクライド・オーティスとブルック・ベントンの系列、「Love Is Like a Newborn Child」はオスカー・ブラウン・ジュニア。B面に回ると、ニック・アシュフォード&ヴァレリー・シンプソンの「Where There Was Darkness」、ジェイ・センターとビル・ラバウンティの「I Hope You’ll Be Very Unhappy Without Me」、マーヴィン・ゲイらが書いた「Just to Keep You Satisfied」と並ぶ。

なかでも「Nobody」の採用には驚かされる。これはアレックス・ロジャースとバート・ウィリアムズによる1905年の歌で、ヴォードヴィルの時代に黒人芸人が自分の立場を自嘲しながら歌った、きわめて古い曲だ。1979年のソウル・アルバムに置くには、あまりに遠い場所から持ってきている。

選曲の幅がこれだけ広いと、散漫になってもおかしくない。ところが通して聴くと、不思議にまとまって聞こえる。理由ははっきりしていて、どの曲も「彼女の声の形」に寄せて作り直されているからだ。原曲がシカゴ・ソウルでも、ニューオーリンズのリズム・アンド・ブルースでも、1905年のステージ・ソングでも、出てくるのは同じ、少し掠れて芯の通った声である。歌い手としての個性を示すのにオリジナル曲を揃えるのが近道だとすれば、この盤は逆の道を行っている。借りてきた服を全部自分のサイズに直して着てみせる、という作り方だ。

唯一の自作曲「I Got Myself a Happy Song」が、シングル「Endlessly」(英国盤K 17457)のB面に置かれたのも象徴的だと思う。自分の歌は裏面にある。そういう位置づけの時期だった。

クレジットに並ぶ、西海岸と東海岸の名前

演奏陣の顔ぶれを見ると、この盤がどれだけ贅沢に作られたかが分かる。鍵盤はドン・グルーシンとレオン・ペンダーヴィス、ギターはグレッグ・ポリーとジョン・トロペイ、ベースはエイブラハム・ラボリエルとウィル・リー、ドラムはジェイムス・ガドソンとリック・マロッタ、パーカッションにジョー・ポーカロ、クラヴィネットにウィリアム・D・スミス、バックグラウンド・ヴォーカルにフィリス・セント・ジェイムス。

この並びは、ロサンゼルスとニューヨークのスタジオ・シーンを両方まとめて呼んできたような布陣だ。ラボリエルとガドソンは西海岸のセッションを支えた屋台骨で、ウィル・リーとジョン・トロペイは当時のニューヨークのファースト・コールにあたる。ふたつの街の手癖が1枚の中に同居しているので、曲ごとにグルーヴの重心が微妙にずれる。そのずれが、選曲の雑多さと妙に釣り合っている。

アレンジも分業になっていて、ストリングスにイアン・フリーベアン=スミス、ストリングスとホーンにレオン・ペンダーヴィス、そしてホーンの編曲と指揮にアラン・トゥーサンが入っている。トゥーサンは自作の「Declaration of Love」を提供したうえで管楽器の面倒まで見ているわけで、この一点だけでも制作にかけた本気度がうかがえる。

ただし、ここで一つはっきりさせておきたいことがある。この盤にジョー・サンプルやラリー・カールトンは参加していない。クルセイダーズ人脈が本格的に合流するのは次の『Now We May Begin』からで、『Raw Silk』は、あくまでワーナーの手持ちのセッション・プレイヤーで組み上げられた一枚だ。ここを取り違えると、次に起きたことの意味がぼやけてしまう。

5か月後、「Street Life」がすべてを変えた

1978年、ステージで鍵盤に向かうジョー・サンプル
1978年のジョー・サンプル。奥でベースを弾くのはウィルトン・フェルダーPhoto: Lionel decoster / CC BY-SA 3.0

『Raw Silk』が店頭に並んだのが1979年2月。その5か月後の7月、クルセイダーズのアルバム『Street Life』のタイトル曲がシングルとして出る。作曲はジョー・サンプル、作詞はウィル・ジェニングス。そしてリード・ヴォーカルを歌っているのが、ランディ・クロフォードだった。

反応はそれまでとまったく違った。ビルボードのホット100で36位、R&Bチャートで17位、そして英国シングル・チャートで5位。クルセイダーズにとってソウル・チャート最大のヒットであり、クロフォードにとっては唯一のホット100入りでもある。自分の名前が大きく出たアルバム3枚では動かなかった針が、他人のバンドの1曲で一気に振り切れたことになる。

当時のクルセイダーズは、ジョー・サンプル(鍵盤)、ウィルトン・フェルダー(テナーサックス、エレキベース)、スティックス・フーパー(ドラムス)の3人体制。創設メンバーのウェイン・ヘンダーソンは1976年に抜けており、ギターはバリー・フィネティが弾いている。ジャズ・ファンクの硬いリズムの上に、ソウル・シンガーの声をまるごと乗せる——その組み合わせの正解を、彼らはこの曲で引き当てた。

翌1980年の『Now We May Begin』は、まさにその続きとして作られる。制作はサンプル、フェルダー、フーパーのクルセイダーズ三者。そこから出た「One Day I’ll Fly Away」は英国で2位、オランダとベルギー(フランドル)では1位まで上がった。作詞はまたしてもウィル・ジェニングスで、彼はのちに「Up Where We Belong」(1982年)と「My Heart Will Go On」(1997年)でアカデミー賞を獲ることになる。クロフォードの歌は、その作詞家が本格的に世界に出ていく通り道でもあった。

英国が先に見つけた歌手

英国ネブワース・パークの野外ステージで演奏するクルセイダーズ
英国ネブワース・パークのステージに立つクルセイダーズPhoto: Kentrethewey / CC BY-SA 4.0

その後のキャリアを数字で並べると、アメリカとヨーロッパの差があまりに極端で、同じ歌手の話とは思えないほどだ。

『Now We May Begin』は英国アルバム・チャートで10位、アメリカではR&Bチャートの30位。続く1981年の『Secret Combination』は英国で2位まで上がり、シルバー・ディスクに認定される。シングルも「You Might Need Somebody」が英国11位、「Rainy Night in Georgia」が18位。いっぽうアメリカでは、ソロ名義でホット100に入った曲が一つもない。

極めつけは1982年のブリット・アワードで、彼女は最優秀ブリティッシュ女性ソロ・アーティスト賞を受賞している。生まれも育ちもアメリカの歌手が、英国人向けの部門で表彰されたわけだ。賞の規定がおおらかだった時代の話とはいえ、当時の英国でどれほど自国の歌手のように扱われていたかが、この一事でよく分かる。

アメリカが彼女を取りこぼした理由を一つに絞るのは難しい。ソウルにしてはジャズ寄りで、ジャズにしてはポップすぎる。どの棚にも半分ずつしか収まらない声だった、というあたりが近いのだろう。ヨーロッパのラジオと聴き手は、その半端さをむしろ魅力として受け取ったのだと思う。『Raw Silk』が唯一ノルウェーでチャート入りしていたのは、偶然にしてはできすぎた前触れだった。

ちなみに「Street Life」はその後、1997年の映画『ジャッキー・ブラウン』のサウンドトラックに起用されて、もう一度広い層に届いている。1979年に録られた歌が、20年近く経ってから別の文脈で生き返った例だ。

いまこの盤をどう手に入れるか

長らく入手しにくい一枚だったが、状況は悪くない。日本盤CDは1991年にワーナー・ブラザーズから品番WPCP-4364で出ている。アナログでは、2015年3月にピュア・プレジャー・レコードが180g盤で復刻した。マスタリングはロンドンのエア・マスタリング(リンドハースト・ホール)でレイ・スタッフが担当し、プレスはドイツのパラス。オーディオファイル向けの再発としてはかなり手の込んだ仕事で、2023年にも版を重ねている。

音の面でいうと、1979年のワーナー盤らしく、中域が厚くて低音が意外に締まっている。打ち込みの入り込む余地がまだ無い時代の録音なので、ドラムとベースの呼吸がそのまま残る。再発盤はそのあたりの質感を素直に出していて、必要以上に現代的な押し出しを足していないのが好ましい。

配信でも聴けるが、個人的にはこのアルバムは曲順で通す意味が大きいと思っている。A面を「I Stand Accused」で始めてB面を「Blue Mood」で閉じる、あの11曲の並びに、制作側の設計がはっきり出ているからだ。

それで、『Raw Silk』はどんな一枚なのか

評価としては、当時も今も「悪くはないが代表作ではない」という位置に落ち着いている。5点満点なら3点、という線が妥当なところだろう。実際、曲の強さでは次作『Now We May Begin』にかなわないし、アルバムとしての完成度なら『Secret Combination』のほうが上だ。

それでもこの盤を薦めたくなるのは、ここに「まだ何者でもない歌手が、全力で他人の歌を自分のものにしようとしている時間」が記録されているからだ。ヒット曲という結論が出る前の、助走だけが残っている。完成した代表作にはない種類の緊張感が、11曲を通してずっと鳴っている。

ランディ・クロフォードは2018年10月に脳卒中で倒れ、予定していた南アフリカでの告別ツアーを取りやめて、以後は表舞台から退いている。1975年から2018年まで、43年間歌い続けた人だった。その長い道のりの、ちょうど入口にあたる場所にこの『Raw Silk』が立っている。半年後に世界が彼女の声を見つけることを、まだ誰も知らなかった頃の一枚である。