道具が壊れた瞬間には、いつも小さな分かれ道がある。動かなくなった家電、ほつれた服、ひびの入った器、きしむ自転車。そのまま捨てて新しいものを買うか、手間をかけて直すか。たいていの場合、迷っている時間はそれほど長くない。修理の見積もりと新品の値段を比べて、新品のほうが安ければ買い替える。それが今の暮らしのごく自然な流れだと思う。

それでも、ときどき直すほうを選びたくなる。合理的な計算だけでは説明しきれない理由で、壊れたものをもう一度使えるようにしたくなる。この記事では、修理して使うという選択をしたときに、何を諦めて、何が手元に残るのかを、いくつかの土地と時代の修理の話を手がかりに考えてみたい。


直すと決めたときに諦めるもの

白い布の上に並べられたモンキーレンチ、タイヤレバー、六角レンチ、ドライバー、パンク修理キットなどの自転車修理用の工具
自転車の修理に使う小さな工具一式。モンキーレンチ、タイヤレバー、六角レンチ、ニップル回し、そしてパンク修理キットPhoto: Gengiskanhg / CC BY-SA 3.0

修理を選ぶと、まず手放すことになるのは時間だ。部品を取り寄せ、手順を調べ、ねじを外して組み直す。人に頼むとしても、預けてから戻ってくるまでの何日か、ときには何週間か、その道具のない暮らしを過ごすことになる。新品なら翌日には届くものを、わざわざ待つ。急いでいるときほど、この待ち時間は重く感じられる。

次に諦めるのは、新しさそのものだ。買い替えれば、少し軽くなった本体や、電池の持ちが良くなった新型、新しい機能が手に入る。修理した道具は、直したところで昔の性能に戻るだけで、それ以上にはならない。周りの人が新しい型を使っているなかで、古い型を直して使い続けるのは、少しだけ取り残されたような気分になることもある。

そして、完全な見た目も諦めることになる。縫い直した袖口、交換したねじの色の違い、塗り直した跡。修理には、たいてい何かしらの痕跡が残る。新品の、どこにも傷のない状態は、一度壊れた時点で戻ってこない。保証が切れることや、直した部分がまた壊れるかもしれないという不安も、修理の側に付いてくる。こうして並べてみると、直す道には失うものが思っていたより多い。

修理は、道具の仕組みを知る時間でもある

それでも直すほうを選んだときに、最初に手に入るのは、その道具がどうできているかという知識だと思う。外から見ればひとつの塊だった道具も、ねじを外していくと、いくつもの部品の組み合わせだったことが分かる。どこに力がかかって、どこがすり減りやすく、どこが壊れたのか。それを知ったあとでは、同じ道具がまるで違って見えてくる。

自転車のパンク修理は、その入り口としてとても分かりやすい。タイヤレバーでタイヤを外し、チューブに空気を入れて水に沈め、泡の出る場所を探す。小さな穴を紙やすりで荒らし、ゴムのりを塗って、乾くのを待ってからパッチを貼る。一連の作業を終えると、自転車が「空気の入ったゴムの管で走っている乗り物」だということが、知識ではなく手の感覚として残る。次に空気が抜けたとき、慌てずに原因を考えられるようになる。

今は、多くの家電や電子機器にも、分解と修理の手順を写真付きでまとめた無料の手引きがある。修理の手引きを集めたサイトの代表格である「iFixit」は、2003年に二人の学生が壊れたノートパソコンの修理方法を探しあぐねたことから始まり、今では六万を超える手順書が公開されている。誰かが一度直した記録が、次に同じ道具を直す人の地図になる。修理は一人の作業に見えて、実は大勢の経験の積み重ねの上で行われている。

金継ぎは、割れた跡を隠さない

青地に橙色の花が描かれた鉢の内側に、割れ目に沿って金色の線が枝分かれして走っている
金継ぎで直された鉢。割れた線が金で縁取られ、絵柄の上を枝のように走っているPhoto: Ruthann Hurwitz / CC BY-SA 4.0

修理の痕跡を、隠すのではなく見せることを選んだ文化もある。日本の金継ぎは、割れたり欠けたりした器を漆で接ぎ合わせ、継ぎ目に金の粉を蒔いて仕上げる技法だ。その始まりについてはよく知られた言い伝えがある。室町時代、将軍の足利義政が大切にしていた中国の青磁の茶碗が割れ、修理のために中国へ送ったところ、大きな鉄の鎹(かすがい)で留められて戻ってきた。その姿を残念に思ったことから、日本の職人たちがもっと美しく直す方法を探しはじめた、という話だ。

言い伝えがどこまで本当かは分からない。ただ、金継ぎで直された器を見ると、この話が長く語り継がれてきた理由はなんとなく分かる気がする。割れた線は消されず、むしろ金で描き直されている。器は割れる前と同じ姿には戻らず、割れたという出来事を抱えたまま、別の表情を持つ器になる。直すことが、元の状態に巻き戻すことではなく、その先の姿をつくることになっている。

修理を選んだときに諦める「完全な見た目」は、見方を変えれば、その道具が過ごしてきた時間の記録でもある。ほつれを繕った袖も、交換した部品も、どこでどう壊れ、誰がどう直したかを静かに語っている。新品にはまだ何の来歴もない。直した道具には、少なくとも一つの物語が刻まれている。手元に残るものの一つ目は、たぶんこの来歴なのだと思う。

江戸の町には、直す職人が歩いていた

江戸時代の町には、修理を仕事にする人たちが大勢いた。穴のあいた鍋や釜を直す鋳掛屋(いかけや)は、ふいごと小さな炉を担いで町を回り、その場で金属を溶かして穴をふさいだ。割れた瀬戸物を白玉(しらたま)と呼ばれるガラス質の釉薬で接いで焼き直す焼き接ぎ屋、すり減った下駄の歯を入れ替える職人、煙管の竹の管を取り替える羅宇屋(らおや)。傘は骨の具合を見て張り替えられ、古紙は集められて漉き直された。

こうした職人がいたのは、物が今よりずっと貴重だったからでもある。鉄も紙も布も、作るのに大きな手間がかかった。壊れたら捨てるという選択肢は、そもそも身近ではなかった。修理は節約の手段であると同時に、町の中に仕事と人のつながりを生む営みでもあった。鍋を直してもらう人は、同時に職人の顔と名前を知り、次に何かが壊れたときに誰に頼めばいいかを知っていた。

今の暮らしでは、修理を頼む相手の顔が見えにくくなった。故障した家電はメーカーの窓口に送り、戻ってくるまで誰が直したのかは分からない。便利にはなったけれど、物と人の間にあった距離の近さは、少しずつ薄れていったように思う。

直す権利が、法律になりはじめている

会議室の机を囲んで、数人の大人がシュレッダーや白い家電の蓋を開け、ドライバーで中を修理している
イギリス・レディングのリペアカフェ。持ち込まれた家電を、ボランティアと持ち主が一緒に開けて直していくPhoto: Karen Blakeman / CC0

ここ数年、修理をめぐる話はもう一度、暮らしの中心に戻りつつある。電池が本体に接着されて交換できない端末、純正以外の部品を取り付けると警告が出る仕組み、手に入らない修理マニュアル。直したくても直せない道具が増えたことへの反発から、「修理する権利」を求める動きが各地で広がった。

欧州連合では、2024年に修理する権利に関する指令が採択され、加盟国は2026年7月末までに国内の法律へ取り込むことになった。洗濯機や冷蔵庫、掃除機、スマートフォンなどについて、メーカーに保証期間が過ぎたあとも妥当な価格で修理を引き受けることを求め、修理を妨げるような契約や技術的な仕掛けを禁じている。保証期間中に買い替えではなく修理を選ぶと、保証が1年延びるという決まりもある。2025年6月からは、欧州で売られるスマートフォンとタブレットに、販売終了後7年間は交換部品を供給することも求められるようになった。

フランスでは2021年から、家電や電子機器に10点満点の修理のしやすさの点数を表示する制度が始まり、その後、壊れにくさも含めた耐久性の指標へと広げられている。認定を受けた修理店で直すと、修理代から数十ユーロが差し引かれる「修理ボーナス」という仕組みもある。アメリカでも、2022年末に署名されたニューヨーク州を皮切りに、ミネソタ州、カリフォルニア州、コロラド州、オレゴン州などで、部品や修理情報の提供をメーカーに求める州法が次々に成立した。オレゴン州は、交換部品が純正かどうかをソフトウェアで判別して機能を制限する「パーツペアリング」を禁じた最初の州になった。

法律だけでなく、人が集まって直す場も増えている。2009年10月にオランダのアムステルダムで始まったリペアカフェは、壊れた物を持ち寄り、ボランティアの手を借りながら持ち主自身が直すという集まりだ。今では世界で二千を超える場所で開かれている。写真のように机を囲んで家電の蓋を開けている光景は、江戸の鋳掛屋が町角で鍋を直していた様子と、どこか重なって見える。

直せない道具が増えた理由

一方で、捨てられる道具の量は増え続けている。2022年に世界で出た電子機器のごみは6,200万トンにのぼり、そのうちきちんと回収され、再資源化されたと記録されているのは2割ほどにとどまる。残りの多くは、どこかで埋め立てられたり、記録のないまま処分されたりしている。

道具が直しにくくなった理由は、一つではないと思う。薄く軽くするために部品を接着で固めれば、分解は難しくなる。防水性を高めるために継ぎ目をなくせば、開ける場所がなくなる。修理を前提にしない設計は、多くの場合、使う側が望んだ便利さの裏返しでもある。直しにくい道具を責めるのは簡単だけれど、薄さや軽さを喜んで選んできたのは、私たち自身でもある。

だからこそ、修理する権利の議論は、メーカーと使う人のどちらか一方だけの問題ではないように感じる。直せる道具を作ってほしいと求めるなら、直せる道具を選び、直しながら使う手間を引き受ける覚悟も、使う側に求められている。

繕うことは、持ち主になり直すことかもしれない

模様入りのテーブルクロスの上で、若い女性がうつむいて靴下の穴を繕っている白黒写真
オランダの船「ダムコ9号」の船室で、靴下を繕う女性。穴のあいた靴下も、編み目を埋めれば履き続けられるPhoto: Willem van de Poll / CC0

靴下の穴を繕う手つきの写真を見ていると、修理とは、物に対してもう一度責任を持ち直すことなのだと感じる。店で買った瞬間、道具は確かに自分のものになる。でも、それが本当の意味で自分の手になじんでいくのは、使い込み、傷をつけ、壊し、直したあとなのかもしれない。直した道具は、どこが弱くて、どう扱えば長持ちするかを、持ち主に教えてくれる。

もちろん、何でも直せばいいというわけではない。電池が膨らんだ機器を無理に開けるのは危ないし、安全にかかわる部品は専門の人に任せるべきだと思う。部品が手に入らないもの、直すほうがかえって多くの資源を使ってしまうものもある。直すか買い替えるかは、結局のところ、その都度考えるしかない。

ただ、迷ったときの基準として、一つだけ手元に置いておきたい問いがある。「この道具が壊れる前の自分と、直したあとの自分では、何が違うだろうか」という問いだ。新品を買えば、壊れる前と同じ状態に戻れる。直せば、壊れる前とは少し違う道具と、少し違う自分が残る。諦めたものの代わりに、来歴と知識と、物とのつながりが手元に残る。修理という選択の値打ちは、たぶんその差の中にあるのだと思う。


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