ぐい呑みを選ぶとき、有田や九谷の磁器は、白い肌のなめらかさや絵付けの華やかさで目を引く。縁は薄く、口に当てるとすっと冷たく、酒の色もよく見える。信楽焼のぐい呑みは、その反対の方向にある器だと思う。表面はざらりとしていて、ところどころに白い粒が顔を出し、赤みを帯びた焦げたような色がにじんでいる。指でなでると、土そのものに触れている感触がある。
最初は、このざらつきが口当たりの邪魔になるのではないかと心配になる。けれど、ぬる燗を注いで唇を当ててみると、硬い磁器の縁とはまったく違う、乾いた土のやわらかい当たりが返ってくる。この記事では、信楽焼がどんな土から生まれ、窯の中でどうやって火色やビードロと呼ばれる景色をまとうのかを見ていき、そのうえで、ぐい呑みとして酒を受けたときに何が変わるのか、どう手入れして育てていくのかを書いていく。
紫香楽宮の瓦から六古窯へ、信楽焼の歩み

信楽は滋賀県の南の端、三重県や京都府との境に近い山あいの町だ。2004年に周辺の町と合併して甲賀市の一部になったが、焼き物の名前としては今も「信楽」がそのまま使われている。山に囲まれた盆地で、焼き物に向いた土と、窯を焚くための薪になる木が、どちらも手の届く場所にあった。
信楽の焼き物の始まりとしてよく語られるのが、奈良時代の742年、聖武天皇がこの地に紫香楽宮(しがらきのみや)を造営したときの話だ。宮殿の屋根に使う瓦をこのあたりで焼いたことが、信楽で焼き物が作られるきっかけになったと伝えられている。ただ、窯の跡として確かめられているのはもう少し後の時代で、鎌倉時代の中ごろ、13世紀には壺や甕、すり鉢を焼く窯が動いていたと考えられている。
鎌倉から室町にかけての信楽焼は、もっぱら暮らしの道具だった。穀物や種を蓄える大きな壺、水を溜める甕、台所で使うすり鉢。釉薬を掛けずに高温で焼き締めた器は丈夫で水を通しにくく、農家の土間に置いておくにはうってつけだった。写真の小壺のように、肩のあたりに檜垣(ひがき)と呼ばれる斜め格子の線を刻んだものも多く、これが信楽の古い壺の目印の一つになっている。
この素朴な壺が、室町時代の後半に思いがけない場所で評価されることになる。茶の湯の世界だ。武野紹鷗(たけのじょうおう)や千利休といった茶人たちは、中国から渡ってきた豪華な道具ではなく、身の回りにある飾り気のない器に美しさを見いだした。信楽の壺は水指や花入に見立てられ、やがて茶の湯のために作られた信楽焼も生まれていく。江戸時代には、宇治の茶を詰めて運ぶ茶壺の産地としても名前が広まった。
信楽は、瀬戸・常滑・越前・丹波・備前とあわせて「日本六古窯」と呼ばれる、中世から今まで焼き物を作り続けてきた産地の一つでもある。六古窯は2017年に日本遺産に認定された。明治から昭和にかけては火鉢の大産地となり、戦後は狸の置物で全国に知られるようになった。1951年に昭和天皇が信楽を訪れた際、日の丸の小旗を持った狸の置物が沿道に並べられたという話は、町の人がいまも好んで語るエピソードだ。
古琵琶湖の底の土と、長石の白い粒
信楽焼の個性は、まず土から来ている。信楽の周辺には、数百万年前にこの一帯にあった古い琵琶湖の湖底にたまった地層、古琵琶湖層が広がっている。琵琶湖は長い時間をかけて少しずつ北へ移動し、いまの位置に落ち着いたとされていて、その移動の途中に残していった湖底の粘土が、信楽の焼き物の原料になっている。
この土は、粘り気があって形を作りやすく、しかも火に強い。高い温度で長い時間焼いてもへたりにくいので、大きな壺や甕を焼くのに向いていた。いまの信楽で大物の焼き物が得意とされるのも、この土の性質によるところが大きい。
もう一つの特徴が、土の中に混じっている粗い粒だ。信楽の土には、花崗岩が風化してできた長石や石英の粒がたくさん含まれている。普通の陶土なら、こうした粒は水簸(すいひ)という工程で取り除いて、きめの細かい土に整えることが多い。信楽焼では、この粒をあえて残す。そのため、焼き上がった器の表面には、ざらざらとした手触りと、ところどころに白く光る点が残る。
火色、ビードロ、石はぜ、窯の中で生まれる景色

信楽焼の多くは、釉薬を掛けずに焼き締める。釉薬で表面を覆わないぶん、土がどう焼けたか、炎や灰がどこに当たったかが、そのまま器の表情として残る。焼き物の世界ではこれを「景色」と呼ぶ。信楽焼のぐい呑みを選ぶというのは、ほとんどこの景色を選ぶことだと言ってもいいと思う。
いちばん信楽らしい景色が「火色(ひいろ)」だ。土に含まれる鉄分が、窯の中で十分な空気を受けながら焼かれると、ほんのりとした緋色や赤橙色に発色する。写真の茶碗でいえば、右下に向かって赤みが濃くなっている部分がそれにあたる。白っぽい土の地肌の上に、炎が通った跡のように赤みが差す。火色は、窯のどの位置に器を置いたか、炎がどう流れたかで出方がまったく変わるので、同じ窯で同じ日に焼いたぐい呑みでも、一つとして同じ色にはならない。
次に「石はぜ」。土に含まれる長石の粒は、高い温度で溶けて白く光るガラス質の点になる。粒が大きいと、焼き締まって縮む土に押し出されるように、表面で小さくはじけたり、まわりに細かなひびを作ったりする。これが石はぜで、写真の茶碗の表面に散っている白い点がそれだ。磁器なら欠点として取り除かれるものが、信楽焼では見どころとして大切にされている。
薪を燃やす窯で焼くと、もう一つの景色が加わる。燃えた薪の灰が器に降りかかり、土の成分と反応して溶け、自然の釉薬になる。これを自然釉と呼び、緑がかったガラス質に溶けて流れたものを、信楽では「ビードロ」と呼ぶ。ポルトガル語でガラスを意味する言葉から来た呼び名だ。灰が厚く積もって溶けきらずに黒っぽく焦げたものは「焦げ」、灰をかぶってざらついたものは「灰かぶり」と呼ばれる。
穴窯と登り窯、何日も続く火の番

こうした景色は、窯の中で長い時間をかけて生まれる。信楽で古くから使われてきたのは、山の斜面を掘り込んで作る「穴窯」だ。一つの細長い部屋の中に器を並べ、下の焚き口から薪をくべ続ける。炎は斜面を上へ向かって流れ、器の表面をなめながら煙突へ抜けていく。器の前にあるか後ろにあるかで、灰の降り方も炎の当たり方も変わる。
穴窯で焼くときは、1,200℃を超える温度を何日も保ち続ける必要がある。窯の大きさにもよるが、焚き続けるのは数日から1週間ほどになることもあり、そのあいだ職人は交代しながら昼も夜も薪をくべ、炎の色や煙の具合を見て火を調整する。焼き上がったあとも、窯が冷めるまでさらに数日待たなければ、中の器を取り出せない。
江戸時代に入ると、いくつもの部屋を階段状につなげた「登り窯」も使われるようになった。一度にたくさんの器を焼ける効率のよい窯で、火鉢や日用品の大量生産を支えた。いまの信楽では、ガスや電気の窯で安定して焼く作り手も多い。ガスや電気の窯では灰が降らないので、ビードロのような自然釉の景色は出にくい。そのかわり、灰釉を掛けたり、窯の中の空気の量を調整して火色に近い色を出したりと、作り手ごとに工夫を重ねている。
写真の水指は、安土桃山時代に茶の湯のために作られたものだ。口の縁には火色が出て、胴には緑のビードロが流れ、右側には紫がかった焦げが厚くたまっている。大きなひびまで入っているが、それも含めて茶人たちは景色として愛でた。ぐい呑みは小さな器だが、同じ窯で焼かれれば、この水指と同じ景色を小さく抱えることになる。
唇に当たる土の粒、燗酒と冷やで変わる感触

信楽焼のぐい呑みでいちばん印象が変わるのは、唇に当たった瞬間だと思う。磁器のぐい呑みは、縁が薄く表面がガラスのようになめらかで、唇には硬く冷たい感触が残る。冷酒の切れのよさを楽しむにはそれがよく合う。信楽焼のぐい呑みは、縁にも厚みがあり、表面には土の粒がそのまま残っている。唇に触れたときにはざらりとした当たりがあるのだけれど、それが痛いわけではなく、乾いた土のやわらかさとして伝わってくる。
燗酒を注ぐと、この違いがもっとはっきりする。厚みのある焼締めの器は、注いだ熱をゆっくり受け止め、外側に伝えるのにも時間がかかる。指先には穏やかなぬくもりが伝わる程度で、注いだぬる燗の温度もすぐには落ちにくいと感じる。器そのものが少し温まってから飲むと、唇に当たる土の粒までほんのり温かく、酒の香りと一緒に土の匂いがかすかに立つ。秋から冬にかけての燗酒には、この感触がよく合うと私は思う。
冷や酒やひや卸しを注ぐときは、事前にぐい呑みを水にくぐらせておくとよい。土の細かな穴に水がしみ込んでいると、表面がしっとりと濡れたような色になり、景色の赤みや緑がぐっと深く見える。冷えた水を含んだ器は、手に持ったときの温もりが酒に移りにくくなる。
焼締めの器で飲むと酒の味がまろやかになる、という話を耳にすることがある。表面の細かな凹凸が酒をやわらげる、と説明されることもあるが、これは科学的にはっきり確かめられたことではないと思う。ただ、口に入る前の唇の感触や、器の色、手に持ったときの重さが、酒の印象を左右するのは確かだ。磁器の白い器で飲む酒がすっきりと感じられるのと同じように、信楽焼の土の器で飲む酒は、落ち着いて丸く感じられる。私にはそれで十分だと感じられる。
使いはじめの水通しと、育てていく楽しみ

信楽焼のような焼締めのぐい呑みは、磁器と違って土に細かな穴が残っている。そのため、使いはじめと日々の手入れには、少しだけ気を配りたい。まず、新しいぐい呑みを使う前には、水かぬるま湯にしばらく浸けておく。土の穴に水を含ませておくと、酒のしみ込みや匂い移りを防ぐ助けになり、焼いたときの細かな粉も落ちる。毎回使う前に、さっと水にくぐらせる習慣をつけておくのもよい。
使ったあとは、ぬるま湯ですすぐだけで済むことが多い。酒器は油汚れがほとんど付かないので、洗剤は必要なときに少量だけにとどめる。洗剤をたくさん使うと土の穴にしみ込み、次に酒を注いだときに匂いが残ることがある。食器洗い機は、高温と強い水流で表面を傷めるので避けたほうがいい。
何より大事なのは、しっかり乾かすことだ。焼締めの器は水を含んだまま箱にしまうと、内側にカビが生えたり、嫌な匂いがついたりする。洗ったら布で拭いたあと、風通しのよい場所で一晩ほど置いて、中まで乾いてから片づける。
こうして使い続けていると、信楽焼のぐい呑みは少しずつ表情を変えていく。酒と水を何度も含んでは乾くうちに、表面の色がしっとりと深くなり、ざらついていた縁も唇や指に触れるたびにわずかに角が取れていく。焼き物好きのあいだでは、これを「育てる」と呼ぶ。買ったときがいちばん美しい器ではなく、使う人の晩酌の回数だけ仕上がっていく器だと思うと、毎晩手に取るのが少し楽しみになる。
いまの信楽には、昔ながらの窯元から若い作家の工房まで、多くの作り手が集まっている。1990年には滋賀県立陶芸の森が開かれ、国内外の作家が滞在して制作する場にもなった。秋には陶器まつりが開かれるのが恒例で、窯元の店先にぐい呑みや徳利がずらりと並ぶ。作り手と話しながら、手に取って唇に当て、自分の好きな景色の一つを選べるのは、産地ならではの楽しみだと思う。
まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 産地 | 滋賀県甲賀市信楽町。日本六古窯の一つで、2017年に日本遺産に認定 |
| 始まり | 742年の紫香楽宮の瓦づくりが起源と伝わる。窯跡は鎌倉時代中ごろから確認されている |
| 土 | 古琵琶湖層の粘土。火に強く、長石や石英の粗い粒をあえて残す |
| 景色 | 鉄分が赤く発色する火色、長石がはじける石はぜ、灰が溶けた緑のビードロや焦げ |
| 口当たり | 縁に厚みがあり、土の粒が唇にやわらかく当たる。燗酒の温度が急に落ちにくい |
| 手入れ | 使う前に水に浸す。洗剤は控えめにし、食器洗い機は避け、中までよく乾かしてからしまう |
信楽焼のぐい呑みは、有田や九谷の磁器のように、白い肌と端正な形で酒を引き立てる器ではない。土の粒も、火の跡も、灰が流れた筋も、すべて隠さずに見せる器だ。その分、手に取るたびに違う表情があり、唇に当てたときの感触にも、ほかの器にはない温かさがある。
燗酒がおいしくなる季節に、ぐい呑みを一つ選ぶなら、火色の赤みが好きか、ビードロの緑が好きか、石はぜの白い粒が多いほうがいいか、景色の好みから選んでみるのがいいと思う。信楽焼のぐい呑みは、Amazonでも各窯元のものを探せる。焼締めのものを選んで、使う前に一度水に浸してから、最初の一杯を注いでみてほしい。