薩摩切子のぐい呑みは色ガラスが約3mm。削って生まれる「ぼかし」が冷酒の色を変える

切子のぐい呑みを二つ並べると、同じ「切子」でも色の見え方がまるで違うことがある。一つは、色のついた部分と透明な部分の境目がくっきりしていて、模様が線で描かれているように見える。もう一つは、深い色からだんだん淡くなって透明に溶けていき、模様の縁がにじんで見える。前者が江戸切子、後者が薩摩切子の典型的な姿だ。 この違いは、職人の好みや流派の差というより、ガラスの作り方そのものから来ている。薩摩切子は、透明なガラスの外側に被せる色ガラスの層が厚い。その厚い層を斜めに削ると、削った深さに応じて色の濃さが段階的に変わり、「ぼかし」と呼ばれるにじみが生まれる。この記事では、まず薩摩切子と江戸切子の違いを数字で並べ、そのあと薩摩切子の歴史とぼかしの仕組みをたどる。後半では、色ごとに冷酒がどう見えるか、ぐい呑みに注ぐ量と温度、長く使うための手入れまでをまとめる。 色ガラスの厚さは約3mm、薩摩切子と江戸切子を数字で並べる 鹿児島の仙巌園で撮られた薩摩切子。手前の緑の器は、削った面ごとに色の濃さが変わり、縁へ向かって透明に溶けていくPhoto: Akihito Fujii / CC BY-SA 2.0 先に結論を示す。薩摩切子と江戸切子を分ける最大の違いは、色ガラスの層の厚さだ。薩摩切子の色被せ(いろぎせ)は、透明なガラスの外側に約3mmの色ガラスを重ねる。江戸切子の色被せはそれより薄く、削ると色の層をすぐに抜けて透明な地が出る。薄い層を削れば、色のある部分とない部分の境目は鋭い線になる。厚い層を斜めに削れば、削り口の中で色の厚みが少しずつ変わるので、濃い色から透明へのグラデーションになる。 素材にも違いがある。薩摩切子は鉛を含むガラス(鉛ガラス)で作られ、屈折率が高く、削った面がきらきらと強く光る。江戸切子は、クリスタルガラスを使うものもあれば、より硬くて扱いやすいソーダガラスを使うものもある。重さを手で比べると、同じ大きさなら鉛ガラスの薩摩切子のほうがずっしりと重い。 比べる点 薩摩切子 江戸切子 始まり 1846年(薩摩藩・島津斉興) 1834年(江戸・加賀屋久兵衛) 色ガラスの層 厚い(約3mm) 薄い 主な素材 鉛ガラス クリスタルまたはソーダガラス 色の見え方 ぼかし(濃淡のにじみ) くっきりした線と面 文様の印象 大きく深いカット 魚子・菊繋ぎ・矢来など細かい文様 公的な指定 鹿児島県の伝統的工芸品 国の伝統的工芸品(2002年) ぐい呑みの価格帯 約2万5千円〜5万円 数千円〜数万円 価格の差も大きい。薩摩切子のぐい呑みは、小ぶりなものでも2万5千円前後からで、冷酒杯になると4万円近いものが多い。厚い色の層を均一に被せ、それを手で削り、磨き上げる工程が長いためだ。江戸切子は、工房や作り方によって数千円台から数万円まで幅が広い。どちらが上ということではなく、作りの違いがそのまま値段に表れている。 1846年に始まり、1858年に途切れた薩摩のガラス 鹿児島市の尚古集成館。島津斉彬が進めた集成館事業の工場跡に建つ博物館で、薩摩切子の歴史資料も伝えているPhoto: Christophe95 / CC BY-SA 4.0 薩摩切子の歴史は、1846年に薩摩藩主の島津斉興がガラスの製造を始めたところから数えられる。江戸からガラス職人を招き、最初は薬品を入れる瓶などを作っていた。これを大きく育てたのが、次の藩主の島津斉彬だ。斉彬は1851年に藩主になると、製鉄・造船・紡績などを束ねた近代工場群「集成館事業」を進め、ガラスの製造もその中に組み込んだ。ヨーロッパのカットガラスを手本にしながら、色ガラスの研究を重ね、なかでも赤いガラスの発色に成功したことで「薩摩の紅ガラス」と呼ばれるようになった。 最盛期には100人を超える人がガラス工場で働いていたとされる。しかし、1858年に斉彬が急死すると、事業は大きく縮小される。1863年の薩英戦争では集成館が砲撃を受け、さらに明治に入ってからの混乱もあって、薩摩切子の製造は途絶えてしまう。作られていた期間は、わずか20年ほどだった。当時の薩摩切子として現存するものは200点ほどしかなく、いまでは美術品として扱われている。 それから100年以上、薩摩切子は作られなかった。復元が始まったのは1985年のことで、島津家の流れをくむ島津興業が薩摩ガラス工芸を立ち上げ、残された古い器を測り、文献を読み解き、試作を繰り返して色と削りの技を一つずつ取り戻していった。翌1986年から本格的な製造が始まり、いまでは鹿児島県の伝統的工芸品として、仙巌園のそばにある磯工芸館などで手に取れるようになっている。 江戸切子は線で、薩摩切子は面で色を見せる 店頭に並ぶ江戸切子。色の層が薄いので、削ったところは透明な線になり、文様の輪郭がくっきりと浮かぶPhoto: User: (WT-shared) Shoestring at wts wikivoyage / Public domain 江戸切子は、1834年に江戸の大伝馬町でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛が、ガラスの表面に彫刻を施したのが始まりとされる。薩摩切子より12年早い。1985年に東京都の伝統工芸品に、2002年には国の伝統的工芸品に指定された。もともとは透明なガラスに文様を刻むものだったが、のちに色被せのガラスも使われるようになり、いまでは赤や青の江戸切子がよく知られている。 江戸切子の色被せは薄いので、少し削るだけで色の層を抜け、透明な地が現れる。その結果、色のある面と透明な線が鋭く分かれ、文様がはっきりと読める。魚の卵のような細かい格子を並べた「魚子(ななこ)」、菊の花を連ねた「菊繋ぎ」、竹垣を思わせる「矢来」、六角形を重ねた「麻の葉」など、文様の名前が細かく決まっているのも、線で模様を描く江戸切子らしいところだ。写真の器も、赤や青の地に白く光る線が走り、模様の形がひと目で分かる。 薩摩切子は、同じように文様を削っても、色の層が厚いぶん、削った面の中に色が残る。浅く削った部分は色が濃く、深く削った部分は淡くなり、層を削り抜いたところで初めて透明になる。線で模様を描くというより、面の濃淡で模様を浮かび上がらせる作りだ。江戸切子が「線の器」なら、薩摩切子は「面の器」と言えると思う。 ...

2026年11月4日 · 1 分 · 125 文字 · kingsworksub-jpg