ジャズヴォーカル入門、歌詞より先に「間」を聴く。ビリー・ホリデイからベティ・カーターまで
ジャズの歌のレコードをかけると、最初はどうしても歌詞を追ってしまう。英語の歌詞を聴き取ろうとして、聴き取れないと置いていかれたような気分になり、そのうち「歌ものは自分には向いていない」と棚に戻してしまう。そういう経験のある人は、たぶん少なくないと思う。 けれど、ジャズの歌い手たちが何十年もかけて磨いてきたのは、歌詞を正しく届ける技術だけではなかった。言葉をどの瞬間に置くか、元の旋律をどこまで崩すか、伴奏の和音のどの音を選んで歌うか。そうした、楽器の奏者がアドリブで考えているのと同じことを、彼女たちは声でやっている。歌詞の意味が分からなくても、その「間」と「崩し方」は耳で追える。 この記事では、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ベティ・カーターの4人を、生まれた順ではなく「声を楽器として扱う度合い」の順に並べてみる。1人ずつ聴きどころを決めておけば、ジャズヴォーカルの棚は思っていたよりずっと近づきやすくなるはずだ。 歌詞を追う耳と、楽器を聴く耳 まず、ジャズの歌い手が何をしているのかを、2つの言葉で整理しておきたい。 1つ目はスキャットだ。「ドゥビドゥバ」のような意味を持たない音節で、楽器のようにアドリブを歌う技法のことで、レコードに残った早い例としては、ルイ・アームストロングが1926年2月にOkehで録音した「Heebie Jeebies」がよく挙げられる。歌詞から完全に離れて、声を管楽器と同じように使うやり方である。 2つ目はヴォーカリーズで、こちらは楽器奏者が吹いたアドリブのソロに、あとから歌詞をつけて歌うものだ。1957年にランバート、ヘンドリックス&ロスが出した『Sing a Song of Basie』をきっかけに、この呼び名が広まった。スキャットが「声を楽器にする」のなら、ヴォーカリーズは「楽器のフレーズを言葉にする」と言える。 ただ、この記事で主に聴きたいのは、そうした目立つ技法よりも手前にあるものだ。歌詞を普通に歌っているように聴こえる場面でも、ジャズの歌い手は拍に対して言葉を少し遅らせたり、伸ばすはずの音を短く切ったり、旋律の高さを変えたりしている。このわずかなずれが、歌を「楽譜どおりの歌」から「その人の演奏」に変えている。 聴き方のこつは単純で、同じ曲を別の歌い手で聴き比べることだ。旋律を知っている曲であれば、どこが元のままで、どこが崩されているのかが耳に入ってくる。4人とも、いわゆるスタンダード曲を数多く残しているので、比べる材料には困らない。 ビリー・ホリデイ、拍の後ろに言葉を置く 1947年ごろ、ニューヨークのクラブ「ダウンビート」で歌うビリー・ホリデイPhoto: William P. Gottlieb / Public domain 最初の1人は、ビリー・ホリデイがいいと思う。1915年にフィラデルフィアで生まれ、1959年に44歳で亡くなった歌手で、声を楽器のように響かせたいと考えていたことが知られている。手本にしたのは、ルイ・アームストロングのトランペットと、ブルースの女王と呼ばれたベッシー・スミスの歌だった。 ホリデイの声は、音域が広いわけではない。高い音を張り上げることも、長く音を伸ばして聴かせることもあまりしない。そのかわりに彼女がやったのは、言葉を置く位置をずらすことだった。伴奏が刻む拍に対して、歌い出しをほんの少し遅らせる。「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれる歌い方で、言葉が拍に追いつこうとして追いつかない、そのわずかな遅れが、どこか気だるく、それでいて切実な響きを生んでいる。 もう一つの特徴は、旋律そのものを作り変えてしまうことだ。作曲家が書いた音の上下をそのまま歌わず、似た高さの音に並べ替えたり、跳躍を平らにならしたりする。狭い音域で歌うことを逆手に取って、メロディを話し言葉に近い形へ寄せていったのだと思う。元の旋律を知っている曲ほど、その組み替えがはっきり分かる。 ホリデイを語るうえで外せないのが、テナー・サックス奏者のレスター・ヤングとの関係だ。1930年代後半、ピアニストのテディ・ウィルソンのもとで行われた録音で、2人は何度も同じ曲に並んでいる。彼女を「レディ・デイ」と名づけたのはヤングで、彼女は彼を「プレズ」と呼んだ。ヤングのサックスもまた、力まず、拍の後ろにふわりと音を置く吹き方で知られていて、2人の録音を聴くと、歌とサックスが同じ呼吸で会話しているように聴こえる。 聴きどころとしては、まず1939年4月にCommodoreで録音された「Strange Fruit」がある。南部のリンチを題材にした曲で、出演していたニューヨークのクラブ「カフェ・ソサエティ」では、この曲を歌う前に給仕を止め、照明を落として彼女の顔だけを照らし、アンコールは受けなかったという。ここでは間の取り方が、歌の内容の重さそのものを運んでいる。 対照的なのが、亡くなる前年の1958年2月にColumbiaで録音された『Lady in Satin』だ。レイ・エリスが指揮する大編成の弦楽の前で、すっかりかすれた声で歌っている。若いころの張りはもう無いが、言葉を置く位置の確かさは少しも崩れていない。声の美しさと歌のうまさが別のものだということを、私はこのアルバムで初めて実感した。 エラ・フィッツジェラルド、言葉を手放して声を管楽器にする 1940年代のエラ・フィッツジェラルド。胸元に王冠のブローチをつけているPhoto: William P. Gottlieb / Public domain ホリデイが言葉を残したまま間をずらしたとすれば、エラ・フィッツジェラルドは、ときに言葉そのものを手放した。1917年にヴァージニア州ニューポート・ニューズで生まれ、1996年に亡くなるまで、およそ60年にわたって歌い続けた人で、スキャットの名手として真っ先に名前が挙がる。 エラの声の魅力は、まず音そのものの澄み方にある。音程がほとんど揺れず、英語の発音がとてもはっきりしていて、歌詞を聴き取れなくても一つひとつの子音の粒が耳に届く。少女のような明るい声で、低いところから高いところまで、ほとんど力みを感じさせずに行き来する。 そのうえで彼女は、管楽器の奏者がソロを吹くように、意味のない音節でアドリブを歌った。1940年代、ビバップの若い奏者たちが速くて複雑なフレーズを吹きはじめたころ、彼女はそれを声でやってのけた。スキャットの途中に、ほかの曲の有名な一節をふと引用して笑わせるのも得意で、サックス奏者がソロの中で別の曲を引用する遊びと同じことを、声で楽しんでいる。 エラは10代でドラマーのチック・ウェッブの楽団に入り、1938年の「A-Tisket, A-Tasket」で一躍名を知られた。のちにプロデューサーのノーマン・グランツと組み、1956年からVerveで出したのが、ソングブックと呼ばれる8作のシリーズである。コール・ポーター、ロジャース&ハート、デューク・エリントン、アーヴィング・バーリン、ガーシュウィン兄弟、ハロルド・アーレン、ジェローム・カーン、ジョニー・マーサーと、作曲家ごとに一枚ずつ代表曲を歌っていった。 ソングブックのエラは、スキャットをほとんど封印して、旋律と歌詞をていねいに歌っている。最初の1枚である1956年の『Ella Fitzgerald Sings the Cole Porter Song Book』を聴くと、崩すことより、元の曲の形をくっきり見せることに力を注いでいるのが分かる。ジャズヴォーカルの入口として、元の旋律を覚えるための教科書のように使えるのが、このシリーズのありがたいところだ。 一方で、スキャットのエラを聴くなら、1960年2月の西ベルリンでのライヴ『Ella in Berlin』がいい。ここで歌った「Mack the Knife」で、彼女は途中で歌詞を忘れてしまい、そのまま即興で言葉を作りながら最後まで歌い切った。同じ夜の「How High the Moon」では、長いスキャットの中にいくつもの曲の断片が飛び出してくる。言葉を手放しても歌は止まらないということが、これほどはっきり分かる録音はほかにないと思う。 サラ・ヴォーン、和声の中を歩く声 1946年、ニューヨークのカフェ・ソサエティでのサラ・ヴォーンPhoto: William P. Gottlieb / Public domain 3人目のサラ・ヴォーンは、1924年にニュージャージー州ニューアークで生まれ、1990年に亡くなった。「サッシー」「ザ・ディヴァイン・ワン」という2つの愛称で呼ばれた人で、ホリデイやエラと比べると、声そのものの豊かさがまず耳に飛び込んでくる。低く太い響きからオペラ歌手のような高音まで、とても広い音域を持ち、音を伸ばしたときの深いヴィブラートには独特の艶がある。 ...