5拍子のピアノが30万ドルの映画を救った。ジョン・カーペンター『ハロウィン』(1978)のテーマ曲
高い音で同じ音型をせわしなく繰り返すピアノ。その下で、低い和音がときどき半音だけ沈む。映画を見たことがなくても、10月になるとどこかでこの旋律を耳にする人は多いと思う。ジョン・カーペンターが1978年に撮った『ハロウィン』のテーマ曲である。 この映画は、ハリウッドの基準でいえばとても小さな作品だった。製作費はおよそ30万ドル、撮影期間は約20日。有名なスターはドナルド・プレザンスくらいで、主演はこれが映画デビューだった19歳のジェイミー・リー・カーティス。殺人鬼が被っているマスクは、市販のおもちゃを白く塗っただけのものだ。それでもこの映画はアメリカだけで約4,700万ドルを稼ぎ、その後の数年間に量産される「スラッシャー映画」の型を作った。 お金の無さを補ったものは何だったのか。私はその大きな部分を、カーペンターが自分で書いて自分で弾いた音楽が担っていたと思っている。この記事では、低予算の撮影の工夫、画面の使い方、そして5拍子のテーマ曲が恐怖をどう組み立てたのかを順に見ていく。 30万ドルと20日間、春のサウスパサデナで撮った10月 劇中でマイヤーズ家として使われた家。のちに移築され、今もサウスパサデナに残っているPhoto: Jeremy Thompson / CC BY 2.0 企画の出発点は、配給会社を営むアーウィン・ヤブランズが「ベビーシッターが狙われる映画」を考えていたことだった。仮の題は『The Babysitter Murders』。ヤブランズはカーペンターの前作『ジョン・カーペンターの要塞警察』(1976)を見て彼に声をかけ、物語をハロウィンの一夜に絞ればいいと提案した。資金を出したのは、のちにシリーズ全体の製作者となるムスタファ・アッカドである。脚本はカーペンターと、製作も兼ねたデブラ・ヒルが共同で書いた。 カーペンターが受け取った報酬は、監督・脚本・音楽をすべて合わせて1万ドルと利益の10%だったと伝えられている。予算はおよそ30万ドルから32万5千ドルのあいだで、撮影は1978年の春、約20日で終えた。舞台はイリノイ州の架空の町ハドンフィールドだが、実際に撮ったのはロサンゼルス近郊のサウスパサデナやハリウッドの住宅街である。 ここで困ったのが季節だった。物語は10月31日なのに、撮影は春。南カリフォルニアの街路には青々とした葉が茂り、ところどころにヤシの木も立っている。スタッフは紙の落ち葉に色を塗って道にまき、撮り終えると拾い集めて次の場面でまた使ったという。注意して見ると、秋のはずの画面の奥に緑の木々が映り込んでいる場面がある。私はこのほころびを見つけるたびに、小さなチームが限られた手持ちでやりくりしていた様子が浮かんで、かえって親しみを覚える。 1ドル98セントのマスクと、画面の端に立つ男 教室の場面のロビーカード。中央で頬杖をついているのがローリー役のジェイミー・リー・カーティスPhoto: Unknown / Public domain 殺人鬼マイケル・マイヤーズの白いマスクも、予算の少なさから生まれた。美術を担当したトミー・リー・ウォーレスが店で買ってきたのは、1ドル98セントの『スター・トレック』のカーク船長のマスクだった。目の穴を広げ、眉ともみあげを取り、顔を白く塗り、髪を暗い色にすると、誰の顔でもない、表情の読めない顔ができあがった。脚本ではこの男は名前ではなく「The Shape」とだけ書かれていて、演じたニック・キャッスルの日当は25ドルだったという。 もう一つの工夫が画面の横幅である。カーペンターはこの低予算の映画を、パナビジョンの横長の画面(2.35対1)で撮ることにこだわった。横に長い画面は、人物を片側に寄せると反対側に大きな空白が残る。ローリーが教室の窓の外を見る場面でも、道を歩く場面でも、その空白の奥に白いマスクの男が静かに立っている。観客は画面の中心で話している人物よりも、端の暗がりのほうが気になり始める。お金をかけずに怖さを生む、とても効率のよい方法だと思う。 冒頭の数分も有名だ。1963年のハロウィンの夜、カメラは誰かの目線になって家の周りを歩き、台所で包丁を取り、2階へ上がっていく。パナビジョンが当時開発していた携帯型の安定装置パナグライドを使い、ひと続きに見えるように撮られた主観ショットである。最後にマスクが外されて、その目線の主が6歳の少年だったと分かる。観客は最初の数分で、自分が殺人者の目で画面を見ていたことに気づかされる。 3日で書いた音楽と、ボンゴで覚えた5拍子 2010年のジョン・カーペンター。監督作の多くで音楽も自分で書いているPhoto: Nathan Hartley Maas / CC BY-SA 3.0 カーペンターは、オーケストラを雇うお金が無かったこともあり、自分の映画の音楽をたいてい自分で作ってきた。『ハロウィン』のスコアも、編集を終えたあと、3日ほどで書いて録音したと語られている。本人は楽譜をすらすら読み書きするタイプの作曲家ではなく、ピアノとシンセサイザーの前で、場面に合う短い音型を探しては重ねていくやり方だった。 テーマ曲の土台になったのは、少年時代に父から教わったリズムだ。父親のハワード・カーペンターは大学で音楽を教えるヴァイオリン奏者で、息子にボンゴで5拍子を叩くことを教えたという。テーマ曲は、この5拍子でできている。 ふだん私たちが耳にするポップスや映画音楽の多くは4拍子で、体は「1、2、3、4」と数えながら、次の小節の頭が来るのを無意識に待っている。5拍子の曲ではそこに1拍余分なものが入るので、着地するはずの場所で着地しない。高い音の速い繰り返しは止まらずに進むのに、どこで息をつけばいいのかが分からない。私はこの落ち着かなさが、背後に誰かがいるのに振り返れないときの感覚とよく似ていると思う。 和音の動きも、その不安をあおる。曲はしばらく同じ響きの上で続いたあと、低い和音だけが半音下へずれる。高い音型は変わらずに鳴り続けているので、足元の床だけがわずかに沈んだような感覚になる。旋律らしい旋律はほとんど無く、聴き手が覚えるのは繰り返しの音型と、その下の小さなずれだけだ。それなのに、一度聴くと忘れられない。 音楽のない試写で、怖くないと言われた映画 1973年製のMoogモジュラー・シンセサイザー。『ハロウィン』の効果音的な電子音も、こうした機材で作られたPhoto: Attila Szász / CC BY-SA 4.0 音楽がこの映画にとってどれほど大事だったかを示す話がある。スコアをつける前、カーペンターは完成したばかりの映像を、20世紀フォックスの若い女性幹部に見せた。音楽の入っていない版を見た彼女は、怖くなかったと答えたという。カーペンターはそこで、音楽でこの映画を救おうと決めた。音楽を入れてから見せ直すと、今度は怖がってもらえた。後年、彼はこの経験を、映画音楽の力を思い知った出来事として何度も語っている。 スコアは、ピアノとシンセサイザーを中心に録音された。録音を手伝ったのは、シンセサイザーの扱いに詳しいダン・ワイマンで、モジュラー型のシンセサイザーを使って低いうなりや金属的な響きを作った。テーマ曲のピアノに加えて、マイケルが画面に現れる瞬間には、短く鋭い電子音が突き刺さる。驚かせる音、と言えばそれまでだが、この映画ではそれが乱発されない。静かな場面が長く続いたあと、ここぞという一瞬にだけ鳴るので、毎回きちんと効く。 オーケストラの厚い響きが無いことも、この映画には合っていたと思う。郊外の静かな住宅街、日が暮れていく通り、誰もいない家の中。そうした空っぽの空間に、ピアノの細い音と電子音のうなりだけが鳴る。音数の少なさが、画面の空白と同じ働きをしている。低予算という制約が、映像と音の両方で同じ方向の答えを生んだわけだ。 スラッシャー映画の型と、その後の半世紀 『ハロウィン』は1978年10月下旬、カンザスシティを皮切りに公開され、評判が口コミで広がって長く上映された。アメリカでの興行収入は約4,700万ドル、世界では約7,000万ドルに達し、独立系の映画として当時もっとも利益を上げた作品の一つになった。2006年には、アメリカ議会図書館の国立フィルム登録簿に選ばれている。 この成功を見て、似た作りの映画が次々に作られた。1980年の『13日の金曜日』を筆頭に、祝日や記念日、閉ざされた場所、正体の見えない殺人者、そして一人ずつ減っていく若者たち。1980年代の初めにかけて、スラッシャー映画と呼ばれる一群が量産された。最後まで生き残って殺人者と向き合う若い女性という型は、のちに映画研究者のキャロル・J・クローヴァーが1992年の著書で「ファイナル・ガール」と名づけた。その原型として必ず挙げられるのが、ジェイミー・リー・カーティスが演じたローリー・ストロードである。カーティスは、ヒッチコックの『サイコ』に主演したジャネット・リーの娘でもあった。 ただ、後に続いた映画の多くは、血の量や殺し方の工夫で競うほうへ進んでいった。見返すと、『ハロウィン』そのものは驚くほど血が少ない。怖さの大半は、画面の端に立つ男と、止まらない5拍子のピアノが作っている。型を作った作品が、実はその型のいちばん目立つ部分をあまり使っていなかったのは面白いところだ。 カーペンター本人の音楽は、その後も生き続けた。2015年からは息子のコーディ・カーペンター、ダニエル・デイヴィスと組んで、映画のためではない曲を集めたアルバム『Lost Themes』のシリーズを出し、ライブツアーで自作の映画テーマを演奏するようになった。2018年の続編『ハロウィン』では、この3人が音楽を担当し、1978年のテーマを新しい音で鳴らし直している。2022年の『ハロウィン THE END』まで、その体制は続いた。70代になった監督が、ステージの上で自分の書いた5拍子を弾いている姿は、低予算の現場で生まれた音楽がどれほど長生きしたかを物語っている。 ...