Héroes del Silencioの写真から消された5人目、ギタリストAlan Boguslavskyの軌跡
2007年、セビリアのオリンピック・スタジアム。再結成「World Tour 2007」のステージ。黄金期の4人編成の向こうに、5人目のギタリストの姿はないPhoto: José Porras (Elemaki) / Wikimedia Commons (CC BY 3.0) Héroes del Silencio。スペイン語圏ロックの金字塔にして、1990年代に世界中のスタジアムを埋めた4人組。そのラインナップはよく知られている。ボーカルのEnrique Bunbury、ギターのJuan Valdivia、ベースのJoaquín Cardiel、ドラムのPedro Andreu。だが、あなたが彼らのプロモーション写真を見るとき、そこに映っていない人物がひとりいる。彼らと共にステージに立ち、リフを弾き、歴史的なアルバムを一緒に作ったのに、カメラの前からだけ姿を消していた男。Los Ángeles生まれ、メキシコ育ちのギタリスト、Alan Boguslavsky——「5人目の男」だ。 なぜ彼は公式の写真から消されたのか。なぜバンドは5人でいて、記録には4人しか残さなかったのか。そして今、その男は何をしているのか。答えを探す旅は、1992年のメキシコシティから始まる。 1992年、メキシコでの出会い すべては、ひとつの「たまたま」から始まった。バンドが初めてメキシコ遠征を行った1992年、ドラムのPedro Andreuが現地のミュージシャンと親しくなり、翌日、その男をコンサートに招いた。男はそのライブに心を打たれ、終演後、楽屋まで挨拶に訪れた。名前を、Alan Boguslavskyといった。これが、すべての始まりだった。 当時の彼はメキシコのバンドEl Huitlacocheで活動していた。ただのアンダーグラウンドバンドではなかった。ピンクフロイドを思わせる凝ったジャケットを、自らのアイデアで作り上げるような連中だった。そして彼の心にあったのは「裕福なロックスターになりたい」という欲ではなく、「ちゃんと自分の作品を世に出す音楽家でありたい」という、静かで確かな気持ちだった。 なぜ第2ギタリストが招かれたのか 1993年、バンドは3枚目のアルバム『El espíritu del vino』の制作に入っていた。Phil Manzaneraがプロデュースしたこの作品は、これまでのシンプルなロックから一歩踏み込んだ、複雑な書き分けをした意欲作だった。問題は、それが生きたステージでどう鳴るか。ライブで再現するには、ギター1本では足りなかった。 「ギターを1本追加しよう」。そう提案したのはJuan Valdiviaだった。2014年のインタビューが伝えるところによれば、彼が正式なメンバーとして迎え入れられるまでには、いくつかの"入団テスト"をクリアしなければならなかったらしい。ジョイントを巻く、チェスで勝つ、Valdiviaの酒場に付き合う——。どれも本業の腕前とは関係ない。だが、そこにこそ本物の人間関係があった。 Avalanchaへの作曲参加 招かれた男は、単なるツアーメンバーでは終わらなかった。1995年発表のラストアルバム『Avalancha』では、作曲者として名を連ねる。リードシングル『Avalancha』、そして『Días de borrasca』の主要リフは、彼の手によるものだ。本人はこう語っている。「この2曲は僕のいちばんの貢献だ」と。 『Avalancha』はLos Ángelesで、Bob Ezrinをプロデューサーに録音された。バンドが英語圏へのクロスオーバーも視野に入れていた時期だった。それまでの鬱屈したダークさから、スペイン語ロックの力強さを全面に打ち出した傑作として知られる。Boguslavskyはこの作品を挟んで、バンドの一員としての実感を深めていった。だが、奇妙なことがひとつあった。プロモーション用の公式写真に、彼の姿が写っていなかったのだ。映るのはいつもメンバー4人の構図。メキシコ版のジャケットにだけ、彼の顔があった。 音楽は本物の5人編成だった。だが、カメラの前では4人でいなければならなかった。この不完全な"車座感"は、彼がバンド内で抱えていた微妙な立ち位置を、今に伝えている。 解散後、Bunburyのソロへ 1996年、バンドは解散する。それからほどなく、Bunburyはソロ第1作『Radical Sonora』の制作に取りかかった。そして、そのギターを任されたのが、ほかならぬBoguslavskyだった。「ギターパートは全部お前に任せる」。Bunburyはそう言ったという。エレクトロニクスとドラムンベースの色彩を帯びたこの作品は、当時のファンを驚かせたが、ギターの音は新しい世界観にしっかりと説得力を持っていた。 Boguslavsky自身もこの仕事を楽しんでいた。後年、彼はこう振り返っている。「何年経っても聴き直すたびに驚かされる、良い作品だった」。それが、率直な印象だったという。 自分の足で、Bogusflowへ だが、独立のときは近づいていた。忙しくなるほど、雇われギタリストではなく、自分のバンドを持ちたいという思いが募っていったのだろう。1997年、Bunburyのサポートバンドで肩を並べていたCopi Corellano(キーボード)、Ramón Gacías(ドラム)、Del Morán(ベース)とともに、Bogusflowを結成する。当初は"JADE"という名前を考えていたが、すでに商標が使われており、この名前に落ち着いた。 Bogusflowの音楽は、どちらかというとスピリチュアルで内向的だった。Jeff BuckleyやP.J. Harveyの影響を感じさせる、まっすぐで弱さの残るヴォーカル。1999年には『Bogusflow』とEP『The dream of the dead』を発表し、当初はFIBのメインステージに立つなど順調だった。しかしBunburyのツアーと日程が重なるようになり、2001年、事実上の休止状態へ入る。 そして、この頃の経験が、彼の音楽家としての方向性を静かに決めていった。 The Art of Waitingの孤独な美しさ 2002年、Boguslavskyは初のソロアルバム『The Art of Waiting』をリリースする。この作品は、彼の音楽家人生の中でも特別な立ち位置にある。自宅で全パートをひとりで演奏し、録音し、ジャケットの絵からデザインまでもすべてを自身の手で仕上げた。本人は、アルバムのライナーノーツにこう記している。「これは自分の存在のマニフェストであり、誠実さによる浄化のようなものだった」。 ...