ソニーECM-AX10は、スマホを空間オーディオの録音機にできるか
スマホで動画を撮ると、映像はきれいなのに音だけが平たく感じることがある。内蔵マイクは声を拾うのには十分でも、周りの空気や、音がどちらから来ているかまでは残してくれない。ソニーが10月9日に発表した「ECM-AX10」は、その部分を埋めるためのマイクだ。スマホのUSB-C端子に挿すだけで、前後左右と上下の音をまとめて記録するアンビソニックス録音ができる。 これまで空間オーディオを録ろうとすると、専用のレコーダーか、4チャンネル入力のある録音機と業務用のマイクを組み合わせる必要があった。それがスマホ1台と24gの小さな部品で済むのなら、録音の敷居はかなり下がる。この記事では、ECM-AX10の仕様を確かめたうえで、フィールド録音や空間オーディオの素材集めにどこまで使えそうかを見ていく。 4つの無指向性カプセルを球に並べた、24gのマイク ソニーは以前から、カメラやレコーダー向けの小型ステレオマイクを作り続けてきた。写真は旧モデルのECM-MS907Photo: Evan-Amos / Public domain ECM-AX10の中心にあるのは、新しく作られた球状のマイクモジュールだ。表面に4基の無指向性マイクユニットが配置されていて、どの方向から来た音もほぼ同じ感度で受け止める。4つの位置で拾った音のわずかな時間差と音量差から、音がどちらから来たのかを後で計算できるようにするのが、この配置の狙いになる。 本体の大きさは約35.1×116.1×21.2mm、重さは約24g。スマホの下端に挿してもそれほど邪魔にならない大きさで、手に持ったときの重心もあまり変わらないと思う。録音の形式は、4チャンネルのアンビソニックス、ヘッドホン向けのバイノーラル、ふつうのステレオの3つから選べる。サンプリング周波数は48kHzで、ビット深度は16ビットと24ビットの整数のほか、32ビットの浮動小数点にも対応している。周波数特性は20Hz〜20kHz、最大入力音圧レベルは120dB以上とされている。 操作系は思ったより充実している。入力の減衰(ATT)は0dB・10dB・20dBの3段階で切り替えられ、風や空調の低い音を削るローカットフィルターと、ノイズを抑えるノイズカットの切り替えもある。本体には3.5mmのヘッドホン端子があり、録っている音を遅れなしに聴きながら撮影できる。小さなスマホ用マイクでモニター出力まで付いているのは珍しく、空間の音を録るならここはありがたい部分だと感じた。 付属品は、風防、40cmのUSB-Cケーブル、マイクを固定するホルダー、スペーサーシートなど。延長ケーブルが最初から付いているのは、後で書くように、録音の質を上げるうえで意味がある。 アンビソニックス、バイノーラル、ステレオは何が違うのか 英国のレーベルNimbus Recordsがアンビソニックス録音に使ったマイクアレイ。かつては大がかりな装置が必要だったPhoto: Paul Hodges / CC BY-SA 3.0 ECM-AX10を理解するには、3つの録音形式の違いを押さえておくと話が早い。いちばん身近なステレオは、左右2つのスピーカーやイヤホンで鳴らすことを前提に、左右の広がりを記録する方式だ。前後や上下の情報は基本的に入らない。 バイノーラルは、人の耳に届く音をそのまま再現しようとする方式で、ヘッドホンで聴くと音が頭の外から、ときには後ろや上から聞こえる。もともとは人の頭の形をしたダミーヘッドの耳の位置にマイクを入れて録るものだった。臨場感は強い一方で、ヘッドホンでしか効果が出ないこと、録ったあとに向きを変えられないことが弱点になる。 アンビソニックスは、1970年代に英国のMichael Gerzonらが理論をまとめた方式で、録音した地点を中心とする球面全体の音を記録する。ECM-AX10が扱う一次アンビソニックスでは、全方向の音をまとめた成分と、前後・左右・上下の3つの軸の成分の、合わせて4チャンネルで音場を表す。4つのカプセルで拾った生の信号を、この4チャンネルの形に変換して使う。 アンビソニックスのいちばんの強みは、再生の仕方を後から決められることだと思う。同じ録音から、ヘッドホン向けのバイノーラル、ふつうのステレオ、多数のスピーカーを並べた再生環境向けの信号を作り分けられる。さらに、録ったあとで音場全体を回転させられる。360度動画で視聴者が見る向きを変えると、音もそれに合わせて回るのはこの性質を使っている。 ECM-AX10はこの3つを本体側で選べるので、使い道に合わせて形式を変えられる。SNSに上げる短い動画ならステレオ、ヘッドホンで聴いてもらう雰囲気重視の動画ならバイノーラル、あとで編集したり空間オーディオとして配信したりするならアンビソニックス、という使い分けが基本になりそうだ。 Eclipsa Audioの認証が意味すること ECM-AX10は、Eclipsa Audioの認証を受けた世界初のマイクとして発表された。Eclipsa Audioは、GoogleとSamsungが中心になって進めている空間オーディオの形式で、映像のコーデックなどを策定しているAlliance for Open Mediaの規格「IAMF」をもとにしている。ロイヤリティのかからないオープンな形式として作られている点が特徴だ。 空間オーディオの配信形式はいくつかあるが、多くは制作や再生に特定のライセンスが必要だった。Eclipsa Audioはそこを開いた形にして、YouTubeでの再生やSamsungのテレビ、Androidの端末での対応を広げようとしている。ECM-AX10の認証は、このマイクで録った音がその流れにそのまま乗せられることを示すものだと理解している。 録った素材の扱いには、ソニーの専用アプリ「Spatial Audio Video Tool」を使う。iOSとAndroidの両方に対応していて、映像の撮影、確認、編集、書き出しまでをスマホの中で済ませられる。空間オーディオの動画を作るためにパソコンを経由しなくてよいのは、この製品のいちばん大きな利点だと思う。 ただ、Eclipsa Audioはまだ普及の途中にある形式だ。視聴者側の再生環境がどこまで対応しているかで、届く体験は変わる。空間オーディオとして配信しても、多くの人はステレオで聴くことになる、と考えておいたほうが現実的だろう。その意味でも、アンビソニックスで録っておいて、配信先に合わせて書き出し方を変えられる設計は理にかなっている。 スマホに挿したまま録るときに気をつけたいこと 放送や野外録音で使われたソニーのワンポイントステレオマイクECM-990F。一点で空間を録る発想は昔からあるPhoto: Alexdarek / CC BY 4.0 無指向性のカプセルを使ったマイクは、周りの音を広く拾うかわりに、すぐ近くで起きる音にも敏感になる。スマホに直接挿して手持ちで撮ると、指がケースをこする音や、握り直したときのコツンという音がそのまま入りやすい。アンビソニックスの録音では、こうした音も「すぐそばの特定の方向から来た音」として記録されるので、あとで回転させても消えてくれない。 対策としていちばん効きそうなのが、付属の40cmケーブルでマイクをスマホから少し離すことだ。スマホは三脚や一脚に固定し、マイクはホルダーに付けて触らないようにする。こうすれば手の動きがマイクに伝わりにくくなり、カメラを向け直す操作もしやすくなる。静かな場所での環境音や、時間をかけて録る素材集めでは、この形を基本にしたい。 もうひとつの注意点が風だ。無指向性のマイクは風の影響を受けやすく、屋外では少しの風でも「ボフッ」という低い音が混ざる。付属の風防は必ず付け、それでも残る低い音はローカットで削る。ただし、ローカットを入れると波の音や遠くの車の走行音など、環境音の低い成分も一緒に薄くなるので、録る対象によって使い分けたい。 向きの扱いも、アンビソニックスでは大事になる。どちらが前かを正しく記録しておかないと、再生したときに音の位置がずれる。ECM-AX10には3軸のジャイロと3軸の加速度センサーを組み合わせた6軸のセンサーが入っていて、向きの検出に使われる。インカメラで自分を撮るときのために、録音の向きを切り替えるSELFIEスイッチもある。自撮りで話しながら周りの音も入れたい場面を、最初から想定しているのだと思う。 音量の設定は、ヘッドホンで聴きながら決めるのが確実だ。ライブ会場や祭りのように大きな音が続く場所では、ATTを10dBか20dBに入れておくと、急に大きな音が来たときの歪みを避けやすい。32ビットの浮動小数点で録っておけば、多少レベルが大きすぎても後から下げて救える可能性が高いので、空間の録音を始めたばかりのうちは、この設定を選んでおくと安心だと感じる。 フィールド録音と空間オーディオの素材集めに、どこまで使えるか ここまで見てきた仕様から考えると、ECM-AX10がいちばん力を発揮するのは、映像と一緒に「その場の空気」を残したい場面だと思う。旅先の街の雑踏、市場の呼び声、駅のホーム、雨の日の軒下、ライブハウスの客席の熱気。こうした場面を、スマホのカメラを向けるのと同じ手軽さで、全方向の音ごと残せる。音が立体的に残るだけで、見返したときの記憶の戻り方はずいぶん変わる。 360度動画との相性もよい。アンビソニックスは見る向きに合わせて音を回せるので、360度カメラで撮った映像と組み合わせると、視聴者が振り向いた方向の音が前から聞こえるようになる。空間オーディオの動画を試しに作ってみたい人にとっては、入口として手頃な選択肢になりそうだ。 一方で、気になる点もある。まず、本体の自己雑音(マイク自体が出すノイズ)の数値は、発表の時点では公開されていない。森の朝の鳥の声や、夜の虫の音のように、ごく小さな音を大きく持ち上げて聴かせる録音では、この数値が仕上がりを大きく左右する。静かな自然音を本格的に録りたい人は、発売後に録音例を聴いて判断したほうがよいと思う。 次に、パソコンで使えるかどうかは、公式の情報からははっきり読み取れなかった。設計はあくまでスマホと専用アプリを中心に組まれている。録ったアンビソニックスの素材をパソコンに移して、DAWで細かく編集したい場合は、書き出したファイルを扱えるアンビソニックス対応のプラグインを別に用意する必要がある。スマホの中で完結させるか、素材として持ち出すかで、使い勝手の評価は変わりそうだ。 比べる相手としては、Zoomのアンビソニックス対応レコーダー「H3-VR」が思い浮かぶ。こちらはマイクと録音機が一体で、スマホを使わずに単体で録れる。映像と同時に録るならECM-AX10、音だけをじっくり録るならH3-VRのような単体の機材、という分け方が分かりやすい。さらに上には、RodeのNT-SF1やSennheiserのAMBEO VR Micのような業務用のアンビソニックスマイクがあるが、価格は一桁上がり、別に4チャンネルの録音機も必要になる。ECM-AX10はそこまでの設備を持たずに空間の音を試せる、最初の一台という位置づけになると思う。 価格と発売日、買う前に確かめたいこと ECM-AX10の国内発売日は10月23日で、価格はオープン、予約時点の販売価格は2万9,700円前後になっている。米国での価格は249.99ドル。スマホ用のマイクとしては高めだが、アンビソニックスの専用レコーダーと比べると手を出しやすい価格帯に入る。 ソニー ECM-AX10をAmazonで探す ...