カセットテープはなぜ、すり減る媒体のまま店に戻ってきたのか

家電量販店のオーディオ売り場の片隅に、カセットテープの棚が残っている。十年ほど前なら、それは録音機を手放せない人のための最後の在庫に見えた。けれど最近は、その棚に新しいパッケージが並ぶようになっている。縦縞のデザインをまとったマクセルのUDが復刻され、国内で組み立てられたノーマルポジションのテープも限定で出てくる。消えかけていたはずの媒体が、新製品として売り場に戻ってきている。 カセットテープは、使えば使うほど劣化する。再生のたびにヘッドとこすれ、巻き戻しのたびに引っぱられ、時間がたてば隣り合うテープ同士で磁気が写り合う。音質だけを比べるなら、配信のほうがずっと安定しているし、手間もかからない。それなのに、すり減ることがわかっている消耗品に、もう一度お金を払う人が増えている。この記事では、2025年から2026年にかけての新しいテープの話から入り、1963年に生まれたコンパクトカセットの仕組みをたどりながら、その理由を考えてみたい。 780円のUDと、10月13日のノーマルポジション 左がデジタル録音用のDAT、右がノーマルポジションのカセットテープ。デジタルの小さなテープのほうが先に姿を消したPhoto: Inpriva / CC0 2025年5月26日、電響社からマクセルブランドの「UD-60A」が発売された。60分のノーマルポジションで、価格は780円。電響社は2023年4月にマクセルからライセンスを受け、マクセルの名前でカセットテープなどを作って売っている。マクセルが事業を手放したわけではなく、ブランドを貸す形で新しい製品が出てきたことになる。パッケージには、1970年代から80年代にかけて店頭に並んでいたUDシリーズの縦縞のデザインが使われていて、当時を知る人には懐かしく、知らない世代には新鮮に映るつくりになっている。 もう一つの話題は、データ記録用のメディアで知られる磁気研究所のテープだ。2026年7月に数量限定でハイポジションのテープを出したのに続き、10月13日にはノーマルポジションのテープを1,100円で発売する予定になっている。こちらも数量限定で、販売は自社の直販店に絞られる。受け継いだ設備と職人の技術を使い、国内の自社拠点で組み立てているという。中低域の厚みと高域の素直さを狙った磁性体を選んだとされていて、ただ懐かしさを売るだけでなく、音の作り込みにも手をかけた製品だと感じる。 780円と1,100円という値段は、配信サービスの月額料金とそれほど変わらない。けれど配信のお金で聴けるのは何千万曲で、カセット1本に入るのは片面30分ずつの録音だけだ。数字だけを見れば割に合わない買い物に見える。それでも新しいテープが企画され、限定品が売り切れる。この差を埋めているものは何なのか、というのがこの記事の問いになる。 1963年、ポケットに入るテープ 1982年のライブを収めた西ドイツ製のミュージックテープ。ラベルの右上に二酸化クロムのテープであることが書かれているPhoto: Havelbaude / CC BY-SA 4.0 コンパクトカセットがはじめて人前に出たのは、1963年8月、ベルリンで開かれた放送機器の見本市だった。開発したのはオランダのフィリップスで、その中心にいたのはベルギーの工場で働いていた技術者のルー・オッテンスだ。当時の録音機といえば、大きなリールにむき出しのテープを掛けるオープンリールが主流で、テープを機械に通すだけでも慣れが必要だった。オッテンスは、その扱いにくさに不満を持ち、テープをプラスチックの殻に閉じ込めて、上着のポケットに入る大きさにすることを考えた。 フィリップスは、この規格をほかのメーカーにも無償で使わせる道を選んだ。そのおかげで、日本を含む世界中のメーカーが同じ寸法のテープと再生機を作れるようになり、カセットはあっという間に共通の規格として広まっていった。オッテンスは2021年に94歳で亡くなったが、彼が考えた手のひら大の箱は、半世紀以上たったいまも同じ形のまま売られている。 規格の中身を見ると、カセットがどれだけ無理をして小さくなったかがわかる。テープの幅は3.81ミリ、走る速さは毎秒4.76センチしかない。オープンリールで一般的だった速度の数分の一の遅さで、細いテープの上に左右二つのチャンネルを、しかもA面とB面の往復分まで詰め込んでいる。最初のうちは口述筆記や語学学習のための媒体と考えられていて、音楽を聴くには物足りないと見られていたのも無理はないと思う。 それが音楽の媒体に変わっていったのは、テープの磁性体の改良と、ノイズを抑える回路の進歩が重なったからだ。1979年にソニーがウォークマンの初代機TPS-L2を出すと、カセットは外を歩きながら音楽を聴くための道具になった。好きな曲を順番に並べて録音した自分だけのテープを、誰かに手渡すという文化も、この小さな箱から生まれている。 ノーマル、ハイ、メタルという三つの位置 カセットテープには、ノーマル、ハイ、メタルという呼び方がある。いずれもテープに塗られている磁性体の違いを表していて、それぞれ録音のときに掛ける「バイアス」という補助の信号の強さと、再生のときの音の補正のかけ方が決められている。 ノーマルポジションは、酸化鉄を磁性体に使ったいちばん基本のテープで、規格上はタイプIと呼ばれる。再生のときの補正は120マイクロ秒という値で、どの再生機でも素直に鳴らせるのが強みだ。ハイポジションはタイプIIで、二酸化クロムやコバルトを加えた酸化鉄を使い、録音にはノーマルより強いバイアスを掛ける。補正の値は70マイクロ秒になり、高い音のノイズが目立ちにくくなる。メタルポジションのタイプIVは、金属の粒子をそのまま使った最上位のテープで、たくさんの情報を記録できるかわりに値段も高かった。 カセットの殻の背中には、小さな検出用の穴がいくつか開いている。再生機はこの穴の有無でテープの種類を読み取り、バイアスや補正を自動で切り替える。ノーマルポジションのテープを作り直すということは、この半世紀前に決まった約束事に、新しい磁性体を合わせ込むということでもある。 いま新しく出てくるテープの多くがノーマルポジションなのは、理にかなっていると思う。いま手に入る再生機の多くは、持ち運びのできる小型のプレーヤーや、比較的手ごろな価格の据え置き型だ。こうした機械は、ノーマルのテープを前提に作られていることが多い。ハイやメタルの性能を引き出すには、録音側にもそれなりの機械が要る。誰の手元の機械でもきちんと鳴るテープとして、ノーマルポジションがいちばん出番の多い位置にいる。 劣化することが前提の媒体 殻から引き出されて絡まった磁気テープ。茶色く見えるのは、表面に塗られた酸化鉄の色だPhoto: Tim Reckmann / CC BY 2.0 カセットテープの中身は、薄いプラスチックのフィルムに磁性体の粉を接着剤で塗り付けたものだ。その構造のどこを取っても、時間とともに少しずつ傷んでいく。再生ヘッドに触れるたびに表面の粉がわずかに削れ、ヘッドには茶色い汚れがたまっていく。削れた分だけ音の情報も失われ、ひどくなると音が途切れたり、こもったりするようになる。 保管しているだけでも、変化は進む。巻かれたテープは、隣り合う層同士の磁気がわずかに写り合い、曲が始まる前に次の音が小さく聞こえる「転写」が起きる。接着剤が空気中の水分を吸って分解すると、テープの表面がべたつき、再生機の中で引っかかって嫌な音を立てることもある。長時間録音のテープほどフィルムが薄く、伸びやすく、機械に巻き込まれやすい。鉛筆を穴に差し込んでたるみを巻き取った記憶がある人も多いと思う。 デジタルの音声ファイルは、何度再生しても同じ数字の並びのままだ。コピーしても、何年たっても、最初の音と変わらない。カセットはその逆で、再生するという行為そのものが、少しずつテープを減らしていく。好きなテープほどよく聴き、よく聴くテープほど早く傷む。媒体としては不利な性質だが、この「使った分だけ減る」という感覚が、かえってカセットの魅力の芯にあるのではないかと思っている。 それでもお金を払う理由 カセットの売れ行きは、数字の上でも戻ってきている。イギリスでは2022年におよそ19万5千本のカセットが売れ、2003年以来の多さになった。アメリカでも同じ年に約44万本が売れている。レコードと比べればずっと小さな市場だが、一度はほとんどゼロに近づいた数字が、十年あまりで少しずつ持ち直してきた。テープそのものを作る工場も、アメリカのミズーリ州やフランスのノルマンディーで動き続けていて、新しい生産設備を増やす動きもある。 なぜ劣化する媒体に、もう一度お金を払うのか。私の考えでは、理由の一つは「手間がそのまま記憶になる」ことだと思う。配信なら一瞬で並べ替えられるプレイリストも、カセットでは曲の長さを測り、A面とB面の残り時間を計算し、一曲ずつ録音ボタンを押して作るしかない。失敗すれば巻き戻して録り直す。その時間は効率の面ではむだに見えるけれど、出来上がった一本には、作った夜のことまで一緒に記録されているように感じる。 もう一つは、聴く順番を自分で決められない不自由さだ。カセットでは、好きな曲だけを飛ばし聴きするのが難しい。早送りして探すより、そのまま流れに任せたほうが早い。その結果、アルバムやテープを最初から最後まで通して聴くことになる。配信で曲を次々に飛ばしてしまう癖がある人ほど、この不自由さに新鮮さを感じるのではないかと思う。 そして、すり減ることそのものにも価値がある。新品のテープは誰が買っても同じだが、何年も聴き込んだテープは、ほかのどこにもない音になっていく。少しこもった高域や、かすかに聞こえる転写の音は、欠点であると同時に、そのテープと過ごした時間の証拠でもある。780円のUDや1,100円のノーマルポジションは、音楽そのものではなく、これから傷んでいく余白を買うものなのだと思う。 再生機の側も、新しい製品がそろってきた。小型のカセットプレーヤーは、FiiOのCP13やWe Are Rewindのものなど、現行品として選べる機種がいくつもある。昔の機械を修理して使い続ける人もいれば、最初の一台を新品で手に入れる若い人もいる。どちらにとっても、新しいテープが店で買えることは、この遊びを続けるための前提になっている。 まとめ 項目 内容 マクセル UD-60A 電響社がマクセルのライセンスを受けて2025年5月26日に発売。60分のノーマルポジションで780円 磁気研究所のテープ 2026年7月にハイポジション、10月13日にノーマルポジションを数量限定で発売。1,100円で直販店のみ 誕生 1963年8月、フィリップスがベルリンで発表。開発の中心はルー・オッテンス 規格 テープ幅3.81ミリ、走行速度は毎秒4.76センチ。規格を無償で公開したことで世界に広まった テープの種類 ノーマル(タイプI、補正120マイクロ秒)、ハイ(タイプII、70マイクロ秒)、メタル(タイプIV) 劣化 再生のたびに磁性体が削れ、保管中も転写や接着剤の分解が進む。長時間テープほど伸びやすい カセットテープは、技術の面では何度も追い越されてきた媒体だ。CDにも、MDにも、配信にも、音質と便利さでは勝てない。それでも、1963年に決まった手のひら大の箱は形を変えずに残り、2026年の店頭に新しいテープとして戻ってきた。便利さで選ばれなくなった道具が、手間と劣化を含めて選び直されている。 もし押し入れに古いラジカセやプレーヤーが眠っているなら、新しいノーマルポジションのテープを1本買って、好きな曲を順番に録音してみるのもいいと思う。ノーマルポジションのテープは、Amazonでもいくつかの銘柄から選べる。60分のテープが1本あれば、片面30分ずつ、自分だけの順番で並べた夜の音楽が残せる。それが何年か先にどんな音にすり減っているかを楽しみにするのも、この媒体ならではの付き合い方だと思う。 関連記事 GitHub Pages で技術・理論記事を読む はてなブログ版はこちら Amebaブログ版はこちら

2026年10月11日 · 1 分 · 69 文字 · kingsworksub-jpg