モーダルジャズという挑戦、『Kind of Blue』から『A Love Supreme』へ

1964年、ヘルシンキのステージでトランペットを手にしたマイルス・デイヴィス。モーダル・ジャズは、この男の「次の一手」から始まったPhoto: Reijo Koskinen / Lehtikuva(パブリックドメイン)/ Wikimedia Commons ジャズの即興は、長いあいだ「コード進行の上を走るもの」だった。4小節ごとに巡ってくるコードの流れに乗っかって、その上を自由に滑る。ジャズの神髄は、この制約の中でいかに自由度を出すかにある、と誰もが思っていた。ところが1959年、この当たり前を、まるごとひっくり返すアルバムが現れる。マイルス・デイヴィス『Kind of Blue』。コード進行を捨てて、旋法——モードの上でじっくりと語るという、それまで誰もやらなかった賭けに出たのが、モーダル・ジャズの挑戦だった。 コード進行を捨てる、という発想 モーダル・ジャズとは何か。もっとも簡単に言えば、曲の骨格を「コードの移り変わり」ではなく、「スケール(音階)の風船」で作る方法だ。たとえばソリストにドリア旋法という、ある特定のふくらみを持つ音階をひとつ渡し、その上を延々と歩かせる。「ドリア旋法」といっても、ピアノの白鍵だけを使うレの音階——暗く翳ったクロマチックさに、わずかな透明感が混ざった、その風船の上で、ソリストはコードの縛りから解放されて、音を息のように吐き出していく。 この考え方がどこから来たかと言えば、理論家のジョージ・ラッセルが1953年に発表した『Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization』(リディアン・クロマチック・コンセプト)に遡る。垂直方向(コード)ではなく、水平方向(スケール)に音楽を考えるこの理論は、当時若さあふれるマイルスを強く魅了した。長いコード進行のたびに頭を回転させるハードバップへの行き詰まりを、マイルスは感じていた。そこで彼が選んだのが「もっと間(ま)を取る音楽」だった。 『Kind of Blue』— 一度きりのテイクで 『Kind of Blue』のセッションから4年後に、自らの組曲『A Love Supreme』を録音したジョン・コルトレーン。モーダルという空気は、彼の祈りを運んだPhoto: Impulse! Records(パブリックドメイン)/ Wikimedia Commons 1959年3月2日と4月22日。ニューヨークの30番街スタジオで、マイルスは録音する。そろえた顔ぶれは、テナーにジョン・コルトレーン、アルトにキャノンボール・アダレイ、ピアノにビル・エヴァンズ(一部の曲ではウィントン・ケリー)、ベースにポール・チェンバース、ドラムにジミー・コブ。エヴァンズは後に、この「音符の束」を渡されたときの胸弾みを思い出している。楽譜すらほとんどなく、マイルスは各曲のモードをひとつずつメンバーに伝え、あとは「その上で自由に鳴らせ」と言った。 結果は、各曲ほぼ一発録り。みんなとにかく一回録って、そのまま採用された。レコード史上、これほどリラックスした緊張感を抱えたセッションは他にない。『So What』のベース・ラインがユニゾンで刻まれる冒頭、『All Blues』の6/8拍子のゆらぎ、『Flamenco Sketches』の5つのモードを順繰りに渡っていく静かな饗宴——すべてが、一度のめぐりあわせの中で生まれた。冒頭4小節の、浮遊感を帯びたピアノのヴァンプは、ビル・エヴァンズの自作曲『Peace Piece』と同じ和音から借りてきたものだ。完成したアルバムは1959年8月17日に発売され、ジャズ史上に残る大ヒットとなる。全米だけで500万枚を超える売上と、世界中のクラブで流れ続けるその音は、“モード"という概念を一気に現実のものにした。 ジョン・コルトレーン — コードの果てから祈りへ この空気を、誰よりも大きく吸い込んだのがコルトレーンだった。彼は『Kind of Blue』の直後、自分自身の技巧の極限に挑む『Giant Steps』(1960)で、コード進行を縦横無尽に飛び回る。しかし、その裏側で大きく心を動かされていたのは、モーダルという「広い空間で息をする」方法だった。1957年に経験したという「神による覚醒」は、彼の音楽を単なる演奏から、祈りへと変えていく。 1961年、コルトレーンはインパルス!レコードに移籍。同年11月、ヴィレッジ・ヴァンガードという小さなクラブのステージで、マッコイ・タイナーのピアノとエルヴィン・ジョーンズのドラムに支えられながら、13分を超える『India』や14分におよぶ『Impressions』をぶっ通しで奏でた。コードにとらわれないモーダルな空間そのものを、彼は誰よりも長く、誰よりも深く泳いだ。いわゆる「シーツ・オブ・サウンド」の洪水から、たった数音の沈黙にまで、彼の音は広がっていく。 そして1964年12月9日の夜。ニュージャージー州エングルウッド・クリフスにあるヴァン・ゲルダー・スタジオで、コルトレーンがひとつの組曲を録音する。『A Love Supreme』。『Acknowledgement』『Resolution』『Pursuance』『Psalm』の4部から成る、神への祈りと感謝の音楽だ。冒頭のテーマは、シンプルな3音——“A-Love-Su-preme"と称える、誰にでも口ずさめる動機である。ここでコルトレーンは、技巧の全てを煙のように溶かし、音の一つ一つを祈りに変えた。このアルバムは1970年までに50万枚、そして2021年には100万枚を突破して、1960年代のジャズ・アルバムとして史上初のプラチナ認定を受けた。彼は「私は善のための力になりたいんだ」という詩を、このアルバムに残した。 広がっていくモーダルの波 モーダル・ジャズは、ひとりの天才の趣味では終わらなかった。マイルス自身はその先を、さらに深く探し続ける。1969年の『In a Silent Way』、1970年の『Bitches Brew』は、モーダルの忘却から生まれた音が、電気的ファンクとロックの接続にまで発展した証だ。一方で、ハービー・ハンコックは1965年に『Maiden Voyage』を発表。タイトル曲のエオリア旋法の上を、フレディ・ハバードのトランペットとジョージ・コールマンのテナーが、船出するように滑っていく。ウェイン・ショーターの『Speak No Evil』(1964年録音)も、ヴァン・ゲルダーのエンジニアリングに支えられたモーダル基盤の名盤だ。コルトレーンの右腕だったマッコイ・タイナーは、コードを完全4度積みの塊で支えるという、モーダルの革命に特有の厚みを生み出した。 そして、この「横の広がり」の思想は、ジャズの外まで波及していく。アンビエントの作家がモーダル・ジャズの空間を思い浮かべるとき、ミニマル・ミュージックの祖と呼ばれるスティーヴ・ライヒがコルトレーンに魅了され、浄土の彼方でロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンが、この伝統を21世紀のステージに接続している。モーダル・ジャズは、時代の余白だ。閉塞したコード進行から音楽を解き放った、いまだ進行中の革命。 ビル・エヴァンズと、個の感受性 『Kind of Blue』の「もうひとりの主役」ビル・エヴァンズ。彼の抒情的なピアノが、モーダル・ジャズに叙情の体温を注いだPhoto: Steve Schapiro(パブリックドメイン)/ Wikimedia Commons モーダル・ジャズの物語を語るうえで、ビル・エヴァンズを外すわけにはいかない。彼は『Kind of Blue』のセッションに、正式な場が設けられる前から立ち会っていたと言われるほどの参加者だ。彼のピアノは、当時のハード・バップにはなかった叙情性——言葉にできないものをそのまま鍵盤の上でつまみ上げるような、繊細でprivateな響きを、モーダルという空間の上に徹底して乗せた。「私の音楽は、私自身の精神の表現だ——私の信仰、私の知識、私の存在」。これはジョン・コルトレーンの言葉だが、エヴァンズの感受性にも通じる何かがある。彼はやがてソロ・トリオという形態で、モーダル以降の抒情を極めていく。1960年代にはいまだ多くのミュージシャンを苦しめていた薬物から、ようやく抜け出した彼のピアノは、いっそう透明だった。 ...

2026年9月24日 · 1 分 · 87 文字 · kingsworksub-jpg