枡で日本酒を冷やで飲む理由、江戸の量り売りの道具が祝いの器になるまで
祝いの席で鏡開きをすると、檜の枡で酒が配られることが多い。手に持つと四角い角が指に当たり、口を近づけると木の香りがふわりと立つ。ガラスや陶器の盃とはまるで違う飲み心地だが、枡はもともと酒を飲むための器ではなかった。米や酒の量を正しく量るための、れっきとした計量器だったのだ。 この記事では、まず枡の大きさと容量を数字で整理し、そのあと枡が年貢を量る道具から酒屋の店先の器になり、祝いの席の器になるまでの流れをたどる。後半では、檜の香りが酒にどこまで移るのか、どの温度の酒が枡に向くのか、そして木の器を長持ちさせる手入れまでをまとめる。読み終えるころには、枡に注ぐ酒を一本選べるようになっていると思う。 一合は約180ml、枡の大きさを先に数字で押さえる 白木の一合枡。巻き尺と並べると、外寸が8センチ台半ばほどの手のひらに収まる大きさだと分かるPhoto: Namazu-tron / CC BY-SA 3.0 枡の大きさは、尺貫法の容量の単位で呼ばれる。基準になるのは「合(ごう)」で、一合はおよそ180.39ミリリットル。その10倍が一升(約1.8リットル)、さらに10倍が一斗(約18リットル)になる。いまも一升瓶が1.8リットル、四合瓶が720ミリリットルなのは、この単位がそのまま残っているからだ。反対に、一合の10分の1を「勺(しゃく)」と呼び、一勺は約18ミリリットルになる。 酒器として売られている枡は、ほとんどが一合枡か、それより小さい八勺枡、五勺枡、三勺枡のどれかだ。岐阜県大垣市の大橋量器の製品を例に取ると、一合枡は外寸が縦横85ミリ、高さ56ミリで、容量は約180ミリリットル。八勺枡は82ミリ角・高さ51ミリで約144ミリリットル、三勺枡は56ミリ角・高さ39ミリで約54ミリリットルになる。一合枡と八勺枡は外から見るとわずか3ミリしか違わないが、高さが5ミリ低いぶん、中身は2割ほど少なくなる。四角い箱は、深さを少し変えるだけで容量が大きく動く。 呼び名 容量 外寸の目安 主な使い道 一升枡 約1.8L 約17cm角 米や豆を量る・飾り 一合枡 約180ml 85mm角・高さ56mm 日本酒を飲む・もっきりの受け皿 八勺枡 約144ml 82mm角・高さ51mm 少し控えめに飲む 五勺枡 約90ml — 試飲・利き酒 三勺枡 約54ml 56mm角・高さ39mm 節分の豆・小さな祝い 一合枡に酒を縁まで注ぐと、ちょうど一合になる。もともとが計量器なので、「すり切り一杯で一合」という作りが基本になっている。家で飲むときも、一合枡に一杯注げば飲んだ量がそのまま分かるので、飲みすぎの目安にもなる。 太閤検地から寛文9年まで、枡は年貢を量る道具だった 千葉県香取市で撮られた一升枡。四隅の板を櫛の歯のように互い違いに刻み、噛み合わせて組んでいるPhoto: katorisi / CC BY-SA 3.0 枡の歴史は古く、奈良時代の都の跡からも枡が見つかっている。ただ、長いあいだ枡の大きさは土地ごと、領主ごとにばらばらだった。年貢を取り立てるときは大きな枡を使い、支払うときは小さな枡を使う、という使い分けで差額を得る者もいたといわれる。同じ「一升」でも、量る枡によって中身が違っていたわけだ。 これを一つにそろえようとしたのが豊臣秀吉だった。秀吉は全国の田畑を測り直す太閤検地を進め、年貢の量を京都で使われていた枡、いわゆる京枡を基準に数えるようにした。田畑の広さと、そこから取れる米の量を同じ物差しで記録するためには、枡の大きさがそろっていなければならない。枡は、国の財政を支える道具になった。 江戸時代に入ると、幕府は枡の製造と検査を「枡座」という組織に任せた。東日本33か国は江戸の樽屋藤左衛門、西日本33か国は京都の福井作左衛門が受け持ち、許しを得ない枡の製造は認められなかった。しばらくのあいだ、江戸では京枡と寸法の違う「江戸枡」も使われていたが、寛文9年(1669年)に幕府は全国の枡を新しい京枡に統一する。このときの一升枡の内寸は、縦横4寸9分、深さ2寸7分。掛け合わせると64,827立方分になり、メートル法に直すと約1.8039リットル。現在の一升の値は、この寸法から来ている。 枡座の仕組みは、明治8年(1875年)の度量衡取締条例で終わりを迎える。明治24年(1891年)には度量衡法ができ、昭和26年(1951年)の計量法を経て、昭和34年(1959年)からは尺貫法の単位を取引や証明に使うことが原則としてできなくなった。こうして枡は、法律で守られた計量器としての役目を終えていく。 酒屋の店先で角から飲む、角打ちともっきり グラスを枡に入れ、縁からあふれるまで酒を注ぐ「もっきり」。枡は塗りのものなので、木の香りは移らないPhoto: Intforce / CC BY-SA 4.0 江戸時代の酒屋では、酒は樽から枡で量って売るものだった。客は徳利を持って店に行き、必要な量を量ってもらって家に持ち帰る。そのうち、待ちきれない客が店先で枡のまま酒を飲むようになった。四角い枡の角に口を当てて飲むことから、これを「角打ち(かくうち)」と呼ぶようになったという説がある。酒屋の一角で立ったまま飲むこの習慣は、いまも北九州などで言葉とともに残っている。この段階で、枡は量る道具でありながら、飲む器にもなった。 もう一つ、枡と酒の関係を形にしたのが「もっきり」だ。「盛り切り」がなまった言葉とされ、店で出す酒の量は一合と決まっているのに、店のグラスがそれより小さいときに、グラスを枡の中に置き、あふれるまで注いで一合を渡すやり方から生まれた。あふれた酒が枡に溜まるので、客は量をごまかされていないことが目で分かるし、店側にとっても気前のよさを見せる形になる。 飲み方にはいくつか流儀がある。まずグラスに口を近づけて少し飲み、減ったところに枡の酒を戻すやり方。グラスを持ち上げて先に飲み干し、枡の酒は最後に枡から直接飲むやり方。どちらでも問題はないが、グラスを枡から持ち上げるときは、底についた酒が垂れるので、枡の上で一度止めてから口に運ぶと卓を濡らさずに済む。 祝いの器としての枡には、言葉の縁起も重なっている。「ます」は「増す」「益々」に通じるので、商売繁盛や家の繁栄を願う場面に好まれた。節分に炒り豆を一升枡や三勺枡に入れてまくのも、同じ縁起を担いだものだ。鏡開きで枡が配られるのは、こうした意味が積み重なった結果だと思う。 檜の香りは、酒にどこまで移るのか 枡で飲む酒がおいしいと感じる理由の多くは、檜の香りにある。檜の木材から立つ香りは、アルファピネン(すっきりした針葉樹の香り)、デルタカジネン(木らしい落ち着いた香り)、ティームウロロールやアルファカジノール(温かみのある樹脂の香り)といった成分が混ざり合ったものだ。ヒノキという名前のついたヒノキチオールという成分もよく知られているが、これは台湾の檜やヒバに多く含まれる成分で、日本の檜にはごくわずかしか入っていない。枡から立つ香りの主役は、ヒノキチオールではなくこれらの成分だと考えたほうがいい。 この香りが酒に移る経路は、大きく二つある。一つは、酒が木肌に触れて成分が溶け出す経路。もう一つは、飲むときに枡の縁が鼻のすぐ下に来るので、木そのものの香りを嗅ぎながら飲む経路だ。一合枡に180ミリリットルを注ぐと、酒が触れる木の内側の面積は底と四方の壁を合わせておよそ150平方センチほどになる(推定)。同じ量をガラスの盃で飲む場合と比べて、器と酒の接する面積そのものはそれほど大きくない。数分で飲み切るなら、溶け出す量より、鼻に届く香りの方がずっと大きく効いていると考えるのが自然だ。 ...