漆の盃で燗を飲む夜、輪島塗の朱と黒が口当たりを変える

酒器の話をするとき、ガラスの冷酒杯や磁器のぐい呑み、錫やチタンの器はよく話題にのぼる。けれど、漆の盃はどこか遠い存在になりがちだと思う。お正月のお屠蘇や結婚式の三々九度で目にすることはあっても、ふだんの晩酌に漆の盃を使う人はそれほど多くない。 それでも、漆の盃でいちど燗酒を飲むと、その口当たりはなかなか忘れられない。唇に触れたときに冷たさも硬さも感じず、器の縁がやわらかく受け止めてくれるような感触がある。熱い酒を注いでも、指先に伝わる熱はおだやかだ。この記事では、漆の盃がどう作られているのかを輪島塗を軸に見ていき、朱と黒という二つの色の違い、江戸時代の蒔絵の盃と盃台、そして漆の器を酒に使うときの手入れまでを順に書いていく。 木と漆と布、輪島塗の盃ができるまで 朱の漆で塗り上げた輪島塗の椀。塗り重ねた面は鏡のようになめらかで、縁の丸みもやわらかいPhoto: yuuki ゆうき(金野裕希) / CC BY-SA 4.0 漆器の産地は日本各地にあるが、盃を探しはじめると、まず名前が挙がるのは石川県の輪島塗だと思う。輪島で漆器づくりが始まったのは室町時代とされ、紀州の根来寺の僧が技法を伝えたという説もある。現存する最古の輪島塗は、輪島の重蔵神社に残る室町時代後期の朱塗りの扉だと伝えられている。江戸時代に入ると技法が大きく磨かれ、北前船に乗って全国へ運ばれるようになった。1975年には国の伝統的工芸品に、1977年には国の重要無形文化財に指定されている。 輪島塗の盃は、完成までにおよそ124の工程を通るといわれる。最初にあるのは木地づくりだ。盃や椀のような丸い器には、ケヤキやミズメザクラといった硬く木目の詰まった木が使われ、切り出したあとに2〜3年かけて乾かしてから、ろくろで挽いて形にする。乾燥を急ぐと、漆を塗ったあとで木が動いて狂いが出るので、ここで時間をかけておくことが器の寿命につながる。 輪島塗を輪島塗たらしめているのは、その次の下地の工程だと思う。木地の縁や底のように欠けやすく傷みやすい部分には、麻の布を漆と米の糊で貼り付ける。これを「布着せ(ぬのきせ)」と呼ぶ。盃の口縁は、唇が触れ、洗うときにも何かにぶつかりやすい場所なので、布で補強しておくことで欠けに強くなる。 そのうえに塗り重ねていくのが、「地の粉(じのこ)」を混ぜた下地漆だ。地の粉は、輪島で採れる珪藻土を焼いて粉にしたもので、これを漆に練り込んで何度も塗っては研ぎ、塗っては研ぐ。地の粉の細かな粒の隙間に漆が染み込んで固まるので、下地は石のように硬く、熱にも強くなる。こうしてできた土台の上に、中塗り、上塗りと漆を重ねていく。 2024年1月1日の能登半島地震では、輪島の町が大きな被害を受け、漆器の工房の多くも建物や道具を失った。同じ年の秋には豪雨も重なった。仮設の工房での仕事が少しずつ再開され、新しい共同の作業場もできているが、町全体の復旧はまだ途中にある。いま輪島塗の盃を注文すると、届くまでに時間がかかることも多い。待つ時間も含めて、一つの器を迎える買い物なのだと思う。 漆は乾くのではなく、湿気で固まる 漆は、ウルシの木の幹に傷をつけて採る樹液だ。主な成分はウルシオールという物質で、これが空気中の水分を取り込みながら、酵素の働きでゆっくりと固まっていく。よく「漆が乾く」と言うけれど、正確には水分が抜けて乾くのではなく、湿気を使って硬化する。 そのため、漆を塗った器は「漆風呂(うるしぶろ)」と呼ばれる棚の中で寝かせる。温度は20〜30℃、湿度はおよそ70〜85%という、人間にとっては蒸し暑く感じる環境のほうが、漆はよく固まる。からからに乾いた部屋に置くと、かえっていつまでも固まらない。ひと塗りごとにこの棚で一晩ほど寝かせ、固まったら表面を研いで、また次の漆を塗る。工程が100を超えるのは、この塗る、寝かせる、研ぐの繰り返しが積み重なっているからだ。 固まった漆の膜は、酸にもアルカリにも、アルコールにも強い。日本酒を注いでも溶け出すことはなく、むしろ木地を湿気や虫から守る役目を果たしている。漆の器が何百年も残るのは、この膜の丈夫さのおかげだ。 一方で、漆そのものは貴重になってきている。国内で使われる漆のうち、国産のものは数パーセントほどにとどまり、9割以上は中国などからの輸入に頼っている。1本のウルシの木から一夏に採れる樹液は200グラムほどしかなく、採る職人も減っている。国宝や文化財の修理には国産の漆が使われるため、その分を確保するだけでも手いっぱいというのが現状のようだ。盃一つの値段には、そうした素材の事情も含まれていると考えると、少し見え方が変わってくる。 朱と黒、色の違いは何を変えるのか 柴田是真による「歳寒三友」の図柄の盃のうちの一枚。朱の地に黒い漆で梅の枝を描いているPhoto: Shibata Zeshin / CC0 漆の盃の色は、大きく分けると朱と黒になる。漆の樹液はもともと茶色がかった半透明で、そのままでは鮮やかな色にはならない。精製した漆に顔料を混ぜることで、はじめて朱や黒が生まれる。朱は、辰砂(しんしゃ)から作る朱や、酸化鉄を主成分とするベンガラを混ぜて出す色だ。朱を使えば明るく澄んだ赤に、ベンガラを使えば落ち着いた赤茶寄りの色になる。黒は、漆に鉄分を反応させたり、油煙などの炭素の粉を混ぜたりして出す。 朱の盃は、昔から祝いの席の器だった。神前の結婚式で行われる三々九度では、大中小の三枚重ねの朱の盃を使い、新郎新婦が順に酒を口にする。お正月のお屠蘇も、朱の盃と銚子で祝うのが一般的だ。赤は魔を払う色とされ、祝いの場にはこの色がよく似合う。 黒の盃は、そうした晴れの場からは少し離れて、落ち着いた日常の酒に向く印象がある。黒い面に酒を注ぐと、液面が鏡のように光を返し、酒の色はほとんど見えなくなる。そのぶん、香りと口当たりに意識が向くように感じる。朱の盃では、透明な酒が朱の色を映して、器の中がほんのりと明るく見える。冷や酒なら朱、燗酒なら黒、という決まりはないけれど、私は燗には黒の盃が落ち着くと感じている。 朱と黒を一つの器に重ねた塗り方もある。和歌山の根来寺で生まれたとされる「根来塗(ねごろぬり)」は、黒い漆の上に朱の漆を塗った器で、長く使ううちに縁や角の朱がすり減り、下の黒がのぞいてくる。その擦れた景色そのものが味わいとして好まれてきた。新品の盃が完成品なのではなく、使う人の手で仕上がっていく器だと考えると、漆の盃との付き合い方も変わってくる。 江戸の盃と盃台、蒔絵の金が酒の面に映る 永田友治の作とされる盃と盃台。江戸時代18世紀のもので、波と鳥を蒔絵と螺鈿で表しているPhoto: Daderot / Public domain 江戸時代の漆の盃を美術館で見ると、その多くが蒔絵で飾られている。蒔絵は、漆で文様を描き、漆が固まる前に金や銀の粉を蒔きつけて定着させる技法だ。粉の粒の大きさや蒔く密度を変えることで、金の色の濃淡や光り方を描き分ける。そこに貝殻の内側の光る層を貼る螺鈿(らでん)が加わると、器の面に虹色の光が混ざってくる。 江戸の盃には、多くの場合「盃台」が添えられていた。盃台は盃を載せておくための台で、宴席では盃を直接膳に置かず、この台に伏せたり載せたりして回した。武家や裕福な町人の家では、盃と盃台を同じ文様でそろえ、婚礼や祝いの席で使った。盃の内側に描かれた波や鳥、松や鶴といった文様は、酒を注ぐと液面の下に沈み、飲み進めるうちに少しずつ姿を現す。金の文様が酒の面越しに揺れて見えるのは、蒔絵の盃ならではの楽しみだと思う。 江戸の終わりから明治にかけて活躍した柴田是真(1807〜1891)は、蒔絵師であり絵師でもあった人で、盃にも多くの作品を残している。是真の盃は、金で埋め尽くすような華やかさよりも、朱の地に黒い漆で梅の枝を一本だけ描くような、余白を生かした意匠が印象に残る。漆で絵を描くという発想が、そのまま盃の上で生きている。 いまの輪島塗の盃にも、蒔絵や、漆の面を彫って金箔を埋め込む沈金(ちんきん)で文様を入れたものが多い。江戸の名品は美術館で眺めるものだが、同じ技法で作られた盃を、今夜の晩酌で手に取ることもできる。そのつながりが、漆の盃の面白さの一つだと思う。 唇に当たる木の器、燗にも冷やにも 18〜19世紀の日本で作られた、木地に漆を塗った三枚組の盃。朱の地に金と銀で龍と鯉、波を描いているPhoto: Daderot / Public domain 漆の盃でいちばん違いを感じるのは、唇に当たったときの感触だと思う。ガラスや磁器の盃は、縁が薄く硬く、唇にひやりとした冷たさが伝わる。それが冷酒の切れのよさにつながることもある。漆の盃は、木地の上に漆の膜が重なっているので、唇に触れたときに冷たさを感じにくく、どこか肌に近いやわらかさがある。同じ酒でも、口に入る前の一瞬の印象がずいぶん変わる。 これは、木と漆が熱を伝えにくい素材だからだ。金属は熱をすぐに運ぶので、錫の盃に燗酒を注げば器全体がすぐ熱くなる。磁器もそれなりに熱を伝える。木は内部に細かな空気の層を抱えているので、熱い酒を注いでも外側にはゆっくりとしか伝わらない。漆の汁椀を熱い味噌汁が入ったまま素手で持てるのと同じ理屈で、燗酒を注いだ漆の盃も、指先には心地よいぬくもりが伝わる程度にとどまる。 熱が逃げにくいということは、注いだ燗酒が冷めにくいということでもある。漆の盃は口が広く平たいものが多いので、香りは広がりやすいが、そのぶん温度が下がりやすい形でもある。それでも器そのものが熱を奪わないので、ぬる燗の温度がしばらく保たれる。逆に冷や酒を注げば、手の温もりが酒に移りにくい。燗にも冷やにも向く、というより、注いだときの温度を素直に保ってくれる器だと考えると分かりやすい。 重さも軽い。木地の盃は同じ大きさの磁器よりずっと軽く、手に取ったときの負担がほとんどない。小さな盃で何度も注ぎ足しながら飲むとき、この軽さは思いのほかありがたい。 漆の盃を酒に使うときの手入れ 漆の器は扱いがむずかしい、という印象を持たれやすいけれど、日々の手入れは意外と単純だ。使い終わったら、ぬるま湯で軽くすすぎ、汚れが気になるときは薄めた中性洗剤とやわらかいスポンジで洗う。あとは乾いたやわらかい布で水気をすぐに拭き取る。酒器は油汚れがほとんどないので、ぬるま湯だけで十分なことが多い。 避けたいことはいくつかある。まず、食器洗い機と電子レンジには入れない。高い温度と強い水流、急な加熱は、漆の膜や木地を傷める原因になる。研磨剤の入ったスポンジやクレンザーも、表面に細かな傷をつけてしまう。水に長く浸けておくのもよくない。木地が水を吸って膨らみ、漆の膜に負担がかかる。洗ったらすぐに拭く、というのがいちばん大事な習慣だと思う。 もう一つ気をつけたいのが、日の光だ。漆は紫外線に弱く、直射日光の当たる窓辺に置いておくと、艶が失われて色があせてくる。朱は特に変化が分かりやすい。使わない時期は、布や和紙に包んで箱にしまい、日の当たらない場所に置いておくとよい。逆に、極端に乾燥した場所に長く置くのも木地にはよくないので、冷蔵庫の中やエアコンの風が直接当たる場所は避けたい。 燗酒を注ぐのは問題ない。50℃前後の熱燗程度なら、固まった漆の膜はびくともしない。ただし、直火にかけたり、沸騰したばかりの熱湯を注いだりするのはやめておいたほうがいい。漆の盃は温めるための器ではなく、温めた酒を受けるための器だ。 新しい漆器には、独特の漆のにおいが残っていることがある。気になるときは、箱から出して風通しのよい日陰に数日置いておくと、だんだんやわらいでいく。また、漆でかぶれるのは固まる前の生の漆に触れたときで、しっかり固まった完成品でかぶれることはまずない。 漆の器は、使うほどに艶が増していく。毎日布で拭いていると、表面の細かな凹凸がならされて、しっとりとした光り方に変わってくる。長く使ううちに縁がすり減ったり、小さな欠けができたりしても、漆器は塗り直しができる。輪島をはじめ多くの産地の工房が修理を受け付けていて、下地から直して新品に近い状態に戻すこともできる。割れてしまったものは、漆と金粉で継ぐ金継ぎで直す道もある。一度買ったら終わりではなく、手入れと修理を重ねて世代をまたいで使える器だというのが、漆の盃のいちばんの魅力だと思う。 まとめ 項目 内容 輪島塗の盃 室町時代に始まったとされる。およそ124の工程を通り、1975年に伝統的工芸品、1977年に重要無形文化財に指定 下地の特徴 縁や底に麻布を貼る布着せと、珪藻土を焼いた地の粉を練り込む下地漆で、欠けや熱に強くなる 漆の固まり方 乾くのではなく湿気で固まる。温度20〜30℃、湿度70〜85%ほどの漆風呂で寝かせる 朱と黒 朱は辰砂やベンガラ、黒は鉄分や炭素の粉で色を出す。朱は祝いの席、黒は落ち着いた晩酌に合う 口当たり 木と漆は熱を伝えにくく、唇に冷たさを感じにくい。燗酒を注いでも指先が熱くなりにくい 手入れ ぬるま湯で洗ってすぐ拭く。食器洗い機・電子レンジ・直射日光・長時間の浸け置きは避ける 漆の盃は、作るのに何か月もかかり、扱いにも少しだけ気を配る必要がある。けれど、その手間の分だけ、唇に当たるやわらかさと、燗酒のぬくもりを素直に伝える器になっている。朱の盃で祝いの酒を、黒の盃でひとりの晩酌を、と使い分けてみるのもいいし、一つの盃をずっと使い続けて、縁の色が変わっていくのを眺めるのもいい。 ...

2026年10月10日 · 1 分 · 80 文字 · kingsworksub-jpg

南部鉄器の鉄瓶を燗の湯煎に使うと、なぜ温度が落ちにくいのか

朝晩の空気が冷たくなってくると、日本酒を温めて飲みたくなる。燗のつけ方はいくつもあるけれど、いちばん素直なのは、湯を沸かして徳利を沈める湯煎だと思う。電子レンジでも温まるが、徳利の上と下で温度がばらつきやすく、香りの立ち方も落ち着かない。湯煎なら、酒は外側からゆっくり、まんべんなく温まっていく。 その湯を沸かす道具として、南部鉄器の鉄瓶はよく合う。鉄瓶はもともと湯を沸かすためだけに作られた道具で、燗のための器ではない。ただ、厚い鋳鉄で沸かした湯は火から下ろしたあとも冷めにくく、湯煎の湯としては扱いやすい。この記事では、鉄瓶がどこで生まれた道具なのかを振り返り、燗の温度と湯煎の手順を整理したうえで、鉄瓶の湯がなぜ燗に向くのか、そして避けて通れない錆と手入れの話までを書いていく。 茶の湯の釜を小さくして、鉄瓶が生まれた 江戸から明治のころの作とされる牡丹菊図鉄瓶。胴に浮き彫りの花があしらわれているPhoto: EL Jones / CC BY-SA 3.0 南部鉄器は岩手県の鋳物で、産地は盛岡市と奥州市の水沢地区の二つに分かれる。盛岡の鋳物は、17世紀に盛岡を治めた南部藩が、京都などから釜師や鋳物職人を招いたことに始まるとされる。藩主が茶の湯を好んだこともあって、まずは茶の湯で使う釜づくりが盛んになった。 鉄瓶が生まれたのは18世紀のことだ。茶の湯の釜をひと回り小さくし、注ぎ口と、持ち手になる弦(つる)を付けた。釜は柄杓で湯をすくう道具だが、鉄瓶は傾けて注げる。火鉢や囲炉裏の上に掛けておけば、いつでも湯が使える。茶の湯の席から暮らしの中へ、湯を沸かす道具が一段降りてきたのが鉄瓶だと考えると分かりやすい。 水沢の鋳物はさらに古く、平安時代の終わりに奥州藤原氏が近江から鋳物師を招いたことにさかのぼるという。こちらは鍋や釜、農具といった日用品を多く作ってきた。盛岡は茶の湯の釜から、水沢は暮らしの鋳物から出発し、二つの流れが合わさって、今の「南部鉄器」という呼び名になっている。1975年には国の伝統的工芸品に指定された。 胴の表面に細かな粒を並べた「霰(あられ)」の文様は、南部鉄器の顔のようになっている。見た目のためだけでなく、表面積が増えて熱が伝わりやすくなる、という説明もよく聞く。ただ、効き目のほどははっきりしないので、私は装飾としての美しさが先にある文様だと受け取っている。 盛岡と水沢、今も続く工房 盛岡手づくり村の売り場。中央の大きな鉄瓶の奥に、大小の鉄瓶や急須が棚いっぱいに並ぶPhoto: Dquai / CC BY-SA 4.0 いま南部鉄器の鉄瓶を探すと、よく名前が挙がる工房がいくつかある。盛岡の岩鋳(いわちゅう)は1902年創業で、鉄瓶から鉄急須、鍋まで幅広く作り、海外でもよく知られている。同じ盛岡の釜定(かまさだ)は明治期から続く家族経営の工房で、すっきりとした現代的な形の鉄瓶でも知られる。鈴木盛久工房は盛岡で長く続く鋳物の家で、手仕事の鉄瓶を作り続けている。水沢では1852年創業の及源鋳造(おいげん)が、鉄瓶のほか鍋やフライパンなど台所の鋳物を多く手がけている。 価格は幅が広い。量産に近い工程の鉄瓶なら1リットル前後で2万円ほどから見つかり、職人が型から起こす品は10万円を超える。作家ものや古い名品になると、さらに桁が上がる。最近は底を平らに広げてIH調理器に対応させた鉄瓶もあり、ガスの火がない台所でも使いやすくなった。 ここで一つ、混同しやすいものを区別しておきたい。店先には、鉄瓶とよく似た形の「鉄急須」も並んでいる。鉄急須は内側にホーロー(ガラス質の釉薬)を焼き付けた、茶を淹れるための器で、火に直接かけることはできない。鉄瓶は内側も鉄がむき出しで、火にかけて湯を沸かすための道具だ。燗の湯を沸かすなら、選ぶのは鉄瓶のほうになる。 燗の温度と、湯煎という方法 網の上で直火にかけられた燗徳利。直火は早いが、湯煎のほうが温度を合わせやすいPhoto: みやとも from Japan. / CC BY 2.1 jp 燗酒には、温度ごとに名前が付いている。30℃前後の日向燗(ひなたかん)、35℃前後の人肌燗(ひとはだかん)、40℃前後のぬる燗、45℃前後の上燗(じょうかん)、50℃前後の熱燗、55℃前後の飛び切り燗。5℃刻みでこれだけ呼び分けるのは、それだけ温度によって味が変わるからだと思う。ぬる燗では香りがふくらみ、甘みがやわらかく感じられる。熱燗まで上げるとキレが出て、辛口の酒が引き締まる。 吟醸香の華やかな酒は温めすぎると香りが飛びやすいので、ぬる燗くらいまでにとどめるのが無難だ。一方、純米酒や本醸造の、米のうまみがしっかりした酒は、上燗から熱燗にするとよく開く。どの温度が正解というより、同じ酒を5℃ずつ変えて飲み比べると、自分の好きな温度が見えてくる。 湯煎の手順はむずかしくない。徳利に酒を八分目ほど注ぎ、口にラップを軽くかけておくと香りが逃げにくい。湯は沸騰したところで火を止め、徳利の首の下あたりまで浸かる量を用意する。そこに徳利を立てて、1合ならぬる燗で2〜3分、熱燗で3〜4分が目安になる。徳利の底を指で触ってみて、熱いと感じたら引き上げどきだ。ただ、徳利の厚みや酒の量で時間は変わるので、最初のうちは料理用の温度計を酒に差して確かめるのがいちばん確実だと思う。 直火で徳利を温める方法もあるが、器の底だけが急に熱くなり、温度が上がりすぎやすい。焼き物の徳利は割れることもある。湯煎は時間がかかるぶん、酒の全体が同じ温度にそろい、ちょうどいいところで止めやすい。 鉄瓶の湯は、なぜ燗に向くのか 火鉢の炭火にかけた霰文様の鉄瓶。弱い火でも湯の温度を保ちやすいPhoto: サフィル / CC BY-SA 4.0 鉄瓶の口は細く、徳利をそのまま中に入れることはできない。だから鉄瓶を燗に使うときは、鉄瓶で沸かした湯を、片口や小さな鉢、燗用の湯煎鍋に注いで、そこへ徳利を立てる形になる。鉄瓶は湯を作り、湯を足すための道具として働く。 ここで鉄瓶の良さが出るのは、湯を足すときだ。湯煎の湯は、冷たい徳利を入れた瞬間から温度が下がっていく。2本目、3本目と続けて燗をつけるなら、冷めた湯を少し捨てて、熱い湯を注ぎ足す必要がある。鉄瓶を弱火にかけたまま横に置いておけば、注ぎ足す湯がいつでも熱い状態で待っていてくれる。火鉢や卓上コンロの上に鉄瓶を掛けて、その湯で燗をつけるのは、冬の食卓の古い景色そのものだ。 鉄瓶の湯が冷めにくいのは、厚い鋳鉄の壁と、重いふたのおかげだ。鉄瓶は薄いステンレスのやかんにくらべて壁が数倍厚く、本体だけで1キロを超えることが珍しくない。いったん温まると、その重さのぶんだけ熱をため込んでいて、火から下ろしても壁がしばらく湯を温め続ける。重いふたは湯気を逃がしにくく、湯の表面から熱が抜けていくのも抑えてくれる。 正直に書いておくと、冷めにくさの大きな部分は、鉄よりも湯の量そのものが担っている。水は鉄よりずっと多くの熱をためられるので、1リットル入る鉄瓶なら、鉄の壁が足してくれる分は全体の一部にすぎない。それでも、薄いやかんにくらべて温度の下がり方が明らかにゆっくりなのは、手で持ったときにも感じ取れる。燗のように、数度の違いで味が変わるものを扱うときには、このゆっくりさがありがたい。 一つだけ、やめておいたほうがいい使い方がある。鉄瓶の中に酒を直接入れて温めることだ。鉄瓶の内側は鉄がむき出しで、水以外のものを入れることは想定されていない。酒の酸が鉄と反応して金気(かなけ)の強い味になりやすく、内側の錆の原因にもなる。鉄瓶はあくまで湯を沸かす係にとどめ、酒は徳利の中で温めるのがいいと思う。鉄の器で酒そのものを温めたいなら、岩鋳などが内側にホーローを焼き付けた鋳鉄の燗瓶を作っているので、そちらを選ぶのが筋だ。 錆と湯垢、鉄の道具と付き合うということ ふたを少しずらした霰文様の南部鉄器。黒い表面は鉄を錆から守るための仕上げだPhoto: Misakubo / CC BY-SA 3.0 鉄瓶を使うと決めたら、錆の話は避けて通れない。新品の鉄瓶は、まず八分目まで水を入れて中火で沸かし、湯を捨てることを2〜3回繰り返す。湯が澄んで、口当たりに嫌な金気がなくなれば使い始めていい。鉄瓶の内側には、仕上げの工程で炭火にかけて高温で焼き、表面に酸化被膜を作る「釜焼き」という処理がされている。この黒い被膜が、むき出しの鉄を赤錆から守っている。そこへ使い込むうちに、水道水に含まれるカルシウムなどが白っぽい膜になって積み重なっていく。これが「湯垢」で、湯垢が育つほど鉄瓶は錆びにくくなり、湯の口当たりもまろやかになるといわれる。 だから、鉄瓶の内側はこすって洗わない。洗剤やたわしで磨くと、釜焼きの被膜も湯垢もはがれてしまう。使い終わったら中の湯を捨て、ふたを外して、まだ温かいうちに余熱で中を乾かす。これが手入れのほとんど全部だ。湯を入れたまま一晩置くと、内側に赤錆が出やすくなる。燗を楽しんだ夜も、片付けの最後に鉄瓶の湯だけは空けておきたい。 それでも、しばらく使わずにいると湯が赤っぽく濁ることがある。これは鉄の錆が湯に出ているしるしで、体に害のあるものではない。ただ、気になるなら、番茶や緑茶の茶殻を布の袋に入れて鉄瓶で煮出してみるといい。茶の渋み成分であるタンニンが鉄と結びついて、黒い膜を作り、赤い錆を落ち着かせてくれる。そのあと何度か湯を沸かして捨てれば、また普段どおり使えるようになる。 気をつけたいのは空焚きだ。水を入れずに火にかけると、鋳鉄は急に熱くなって割れたり、ひびが入ったりすることがある。熱いうちに冷たい水をかけるのも同じ理由で避ける。IH対応の鉄瓶でも、強火にせず中火くらいで沸かすのが長持ちのこつだ。外側は漆などで仕上げてあることが多いので、濡れたまま放っておかず、乾いた布で拭いておく。 ...

2026年10月10日 · 1 分 · 89 文字 · kingsworksub-jpg