賃貸の防音は吸音材では解決しない。遮音との違いと、組み立て式ブースの値段

宅録を始めて最初にぶつかる壁は、たいてい機材ではなく建物のほうだ。マイクを買って、オーディオインターフェースをつないで、さあ歌おうという段になって、隣の部屋の生活音が入ってくることに気づく。そして同時に、こちらの声も向こうに届いているのだろうと想像がついてしまう。 この問題に対する答えは、ほぼ例外なく「吸音材を貼る」に収束する。通販サイトには三角の凹凸がついたスポンジが大量に並んでいて、価格も手ごろで、壁に貼ればそれらしい見た目になる。けれど貼り終えたあとも、隣から聞こえてくる音はほとんど変わらない。こちらの声も、たぶん変わらず届いている。 吸音材が役に立たないわけではない。役割が違うだけだ。音を外に出さない仕事と、部屋の中の響きを整える仕事は、物理的にまったく別の現象を扱っている。この二つを分けて考えないかぎり、何にいくら払えばいいのかはいつまでも見えてこない。 遮音と吸音は、別々の仕事をしている 高速道路の遮音壁。音を止める側はひたすら重く、厚いPhoto: DiscoA340 / CC BY-SA 4.0 遮音は、空間と空間のあいだで音のエネルギーを遮る話だ。壁や床や扉といった境界を音がどれだけ通り抜けにくいかを扱う。評価にはSTCやRw、日本の建築ではD値といった等級が使われる。高速道路の脇に立っている壁を思い出すとわかりやすい。あれはコンクリートやレンガの塊で、重く、厚く、そして隙間がない。 吸音は、部屋の内側で音のエネルギーを熱に変える話だ。壁にぶつかった音が跳ね返る量を減らす。評価には吸音率やNRCという指標が使われる。扱うのは「部屋の中にすでにある音」であって、「壁の向こうへ行こうとしている音」ではない。 この違いは、素材が何に反応しているかの違いでもある。多孔質の吸音材は、繊維や気泡のあいだを空気が行き来するときの摩擦でエネルギーを削る。つまり空気の粒子が動く速度に働きかける。一方、壁を透過しようとする音は、壁そのものを振動させて向こう側の空気を押す。こちらで効くのは板の重さと硬さであって、表面に貼ったスポンジが軽く振動したところで、板が動く量はほとんど変わらない。 だから厚さ2センチのウレタンを壁一面に貼っても、隣室に届く音は測定誤差の範囲でしか減らない。壁を重くしたわけでも、隙間を塞いだわけでもないからだ。 質量則という、身も蓋もない法則 遮音の世界には、質量則と呼ばれる経験則がある。壁の面密度、つまり1平方メートルあたりの重さが2倍になると、透過損失はおよそ6デシベル増える。そして周波数が1オクターブ上がるごとにも、やはり6デシベルほど増える。 この二つの「6デシベル」が、宅録における防音の難しさをほとんど説明してしまう。 まず前者。遮音性能を10デシベル上げたければ、壁の重さを3倍以上にしなければならない。賃貸の部屋でこれをやる方法は、現実的には存在しない。壁を増し張りするには工事がいるし、通販で売られている「防音シート」の類を1枚垂らしたところで加わる重さは知れている。塩ビ系の重量シートは確かに重いが、それでも単体で得られるのは数デシベルの範囲にとどまる。 後者はもっと厄介だ。周波数が低いほど遮音は効かない。高い音ほどよく止まり、低い音ほど素通りする。隣の部屋から聞こえてくる音が、言葉としては聞き取れないのに「ドッ、ドッ」という低い成分だけはっきり届くのは、このためだ。キックドラムやベース、スピーカーから出る低域は、どんな壁でもいちばん止めにくい。 そして遮音には、重さと並んでもう三つの要素がある。壁の層どうしを構造的に切り離す絶縁、振動を熱に変える制振、そして隙間をなくす気密だ。このうち気密は、ほかの三つをまとめて台無しにする力を持っている。どれだけ重い壁を作っても、扉の下に1センチの隙間があれば、音はそこを通って素直に向こうへ出ていく。壁ではなく天井裏や床下、換気口を回り込んで伝わる経路もあり、これは側路伝搬と呼ばれる。遮音とは、結局のところ穴のない箱を作る作業に近い。 日本の集合住宅でいえば、木造や軽量鉄骨のアパートの戸境壁はD-35前後、鉄筋コンクリートならD-50前後が目安になる。D-35は、おおよそ35デシベル減ることを意味する。 吸音材が低い音に効かない理由 無響室のくさび。低い音まで吸わせようとすると、吸音体はこの大きさになるPhoto: Togabi / CC BY-SA 4.0 吸音にも、同じくらい身も蓋もない制約がある。多孔質の吸音材が効くのは、その厚みが対象とする音の波長の4分の1程度に達してからだ。 音速を秒速340メートルとして計算してみる。2キロヘルツの波長は17センチだから、必要な厚みは4センチほど。500ヘルツなら波長68センチ、必要な厚みは17センチ。100ヘルツまで下りると波長は3.4メートルになり、4分の1は85センチに達する。 つまり通販で売られている厚さ2.5センチから5センチのウレタンは、500ヘルツより下の音にはほとんど何もしていない。人の声の基音も、ギターの胴鳴りも、キックドラムも、その帯域に居座っている。無響室の壁があれほど巨大なくさびで埋め尽くされているのは、低い音まで反射をなくそうとすると物理的にあの大きさが要るからだ。 逃げ道が一つだけある。吸音材を壁から離して、背後に空気層を作る方法だ。同じ厚みの材でも、背後に10センチ、20センチの隙間を取れば、効き始める周波数はぐっと下がる。部屋の角に厚手のグラスウールを斜めに渡す、いわゆるベーストラップはこの原理で働いている。角は低い音の圧力が集まりやすい場所なので、同じ材を平らな壁に貼るより効率がいい。 部屋の中を整えるという、もう一つの目的 吸音の主役は繊維系のボード。厚みと背後の空気層で性能が決まるPhoto: FMI Fachverband Mineralwolleindustrie / CC BY-SA 3.0 de ここまで吸音材に厳しいことばかり書いたが、吸音には吸音にしかできない仕事がある。そしてそれは、宅録の音質に直結する。 マイクが拾っているのは、口から直接届く音だけではない。壁や天井や机の天板で跳ね返った音が、わずかに遅れて同じマイクに入ってくる。この一次反射が原因で、録った声は妙に部屋っぽくなったり、特定の帯域が膨らんだり凹んだりする。平行な壁のあいだで音が往復を繰り返すフラッターエコーも、硬い面が向かい合う部屋では必ず起きている。 残響時間、いわゆるRT60を短くするのは吸音の仕事だ。マイクの背後と左右、そして口の正面にあたる壁に厚手の吸音材を置くだけで、録り音の輪郭はかなり変わる。ミックスの判断にも効いてくる。モニタースピーカーの音が部屋の反射に汚されていると、低域の量感を正しく判断できず、他の環境で聴いたときに破綻する。 素材としては、三角凹凸のウレタンより、密度のあるグラスウールやロックウールのボードのほうが素直に効く。厚さ5センチのボードを木枠に入れて布を張り、壁から10センチ浮かせて吊るす。見た目を気にしなければ、これがいちばん費用対効果が高い。市販の吸音パネルを買う場合も、見るべきは凹凸の形ではなく厚みと密度だ。 ついでに言えば、卵パックを壁に貼る方法は効果がない。薄く軽い紙は遮音の質量にならず、厚みも足りないので吸音体としても機能しない。見た目が吸音材に似ているだけの話だ。 賃貸でできることの輪郭 窓枠の断面。遮音を決めているのはガラスの厚みとパッキンの気密Photo: Kozuch / CC BY-SA 3.0 工事ができない前提で、何がどこまでできるのかを整理しておく。 部屋の中でいちばん弱い場所はたいてい窓だ。ガラスは壁に比べて圧倒的に軽く、サッシの気密も高くない。ここに内窓を追加できれば効果は大きく、二重サッシで20デシベルから30デシベル程度の改善が見込める。ただし原状回復が必要な賃貸では、取り付け方を含めて管理会社の了解が要る。既存の窓枠に突っ張って固定するタイプなら交渉の余地はある。 扉の隙間を塞ぐのは、費用に対する効果が最も大きい部類に入る。ドア下の隙間風防止材と、枠まわりの隙間テープ。数千円の買い物で、気密が改善した分だけ素直に効く。遮音の計算上は劇的な数字にならないが、いちばん大きな穴を塞ぐという意味では優先度が高い。 厚手のカーテンは、床から天井まで届く長さで、窓幅より十分広く垂らせば数デシベルから十数デシベル程度の改善になる。ただし効くのは中高域だけで、低い音はそのまま抜ける。本棚を戸境壁いっぱいに置いて本を詰めるのも、質量を足すという意味では理屈に合っている。床にはラグと下敷きを敷く。これは階下への固体音、つまり足音や物を落とした音に対して意味がある。 マイクの背後に立てるリフレクションフィルターの類は、遮音の道具ではない。マイクが拾う反射音を減らすためのもので、隣に声が漏れる量は変わらない。名前に惑わされないほうがいい。 数字で見ると、この限界ははっきりする。環境省の騒音に係る環境基準では、住居専用地域は昼間55デシベル以下、夜間45デシベル以下とされている。より静穏を要する地域では昼間50デシベル、夜間40デシベルだ。一方、人が歌う音量は1メートルの距離で70から80デシベル、アコースティックドラムは100デシベル前後に達する。木造アパートの壁で35デシベル減ったとしても、ドラムは65デシベルで隣に届く。夜間の基準を20デシベル超えている。生ドラムを賃貸で叩く方法は、率直に言って無い。 組み立て式ブースはいくらで、どこまでやるのか 組み立て式ブースの内側。小窓と換気口が標準で付くPhoto: TaurusEmerald / CC BY-SA 4.0 部屋を改造できないなら、部屋の中に箱を置く。これが組み立て式ブースの発想だ。工事がいらないので賃貸でも導入でき、引っ越すときは分解して持っていける。 ...

2026年10月5日 · 1 分 · 86 文字 · kingsworksub-jpg