1970年代のフュージョンでは、ベースが旋律を歌いシンセが低音を弾いた
ジャズのレコードを年代順に並べて聴いていくと、1970年前後のどこかで、急に部屋の空気が変わる瞬間がある。それまで木と真鍮と羊の腸の弦でできていた音に、電気の唸りが混ざりはじめるのだ。ピアノの代わりに金属の棒を叩く電気ピアノが鳴り、ウッドベースの隣にエレクトリック・ベースが並び、やがて鍵盤の上には配線だらけの箱が載るようになる。のちにフュージョンと呼ばれることになる音楽の、最初の10年である。 この時代の話になると、ロックの音量を取り入れた、売れ線に寄った、という言われ方をされがちだ。たしかにそういう面もある。けれど、当時の代表的なバンドを順に聴き直していくと、もっと具体的な変化が見えてくる。いちばん大きいのは、ベースと鍵盤の役目が入れ替わったことだと思う。それまで低音を支える係だったベースが旋律を歌いだし、和音を弾く係だった鍵盤が、オーケストラの代わりになったり、ときには低音そのものを受け持ったりするようになった。この記事では、その入れ替わりを軸に、1970年代のフュージョンが何を手放して何を得たのかをたどってみたい。 『In a Silent Way』と『Bitches Brew』、スタジオで組み立てられた電気のジャズ 1975年製のRhodes Mark I。73鍵のステージ型で、1970年代のフュージョンの標準的な鍵盤だったPhoto: Daniel Spils from Seattle, USA / CC BY 2.0 入口になるのは、やはりマイルス・デイヴィスの2枚だ。1969年2月18日に録音され、同じ年の7月に出た『In a Silent Way』には、ジョー・ザヴィヌル、ハービー・ハンコック、チック・コリアという3人の鍵盤奏者が同時に参加している。ピアニストを3人も並べるのは普通のジャズの発想ではないが、ここで彼らが弾いているのは主に電気ピアノとオルガンで、それぞれが和音を鳴らすというより、細かい音の粒を重ねて一枚の布のような響きを作っている。表題曲を書いたのはザヴィヌルで、このあとの10年を考えると、彼がこの場にいたことはとても大きい。 電気ピアノの代表格だったFender Rhodesは、1965年ごろから出回りはじめた楽器である。鍵盤を押すとハンマーが細い金属の棒を叩き、その振動を磁石のピックアップが拾う。ピアノのように弦を響かせるわけではないので、音は丸く、少し鐘に似た余韻が残る。アンプを通すので音量も自在で、ドラムやギターの隣でも埋もれない。1970年には73鍵のステージ型が出て、持ち運べる鍵盤としてクラブやツアーの現場に広がっていった。 同じ年の8月19日から21日にかけて録音され、1970年3月に出たのが『Bitches Brew』だ。ここではウッドベースのデイヴ・ホランドの隣に、エレクトリック・ベースのハーヴィー・ブルックスが並んでいる。低音を2人で重ねるという編成からして、もうピアノ・ベース・ドラムの三角形とは別の発想である。プロデューサーのテオ・マセロは、長時間の演奏を録ったテープを切って貼り合わせ、曲の形をあとから作っていった。演奏の記録というより、スタジオで組み立てられた音楽と言ったほうが近いと思う。 この2枚で手放されたものははっきりしている。アドリブの順番が回ってくる構成、テーマとソロとテーマで終わる曲の型、そしてピアノが和音で伴奏するという役割分担だ。代わりに得たのは、長い時間をかけて少しずつ形を変えていく響きと、電気の楽器ならではの音色の幅だった。参加したザヴィヌル、ショーター、コリア、ハンコックは、ここで得たものを持って、それぞれ自分のバンドへ散っていく。 Weather Report、全員がソロで誰もソロではないバンド 1981年6月、東京・新宿でのWeather Report。左の鍵盤にザヴィヌル、中央にショーターPhoto: Jun Tendo / Public domain ザヴィヌルとウェイン・ショーターが、チェコ出身のベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウスと組んで1970年に結成したのがWeather Reportである。1971年5月にコロムビアから出たデビュー作『Weather Report』では、ザヴィヌルはまだ主に電気ピアノを弾いていて、シンセサイザーは使っていない。それでも、このアルバムの聴こえ方はそれまでのジャズとまったく違う。 いちばん驚くのはヴィトウスのウッドベースだ。弓で長い音を引いたり、高い音域で短いフレーズを投げたりして、ほとんど低音を刻まない。ベースが拍を数える係をやめて、サックスや鍵盤と対等に旋律のやりとりに加わっている。その分、拍の流れはドラムとパーカッションが細かく受け持ち、鍵盤とサックスは空いた空間に音を置いていく。誰か1人がソロをとり、残りが伴奏に回るという関係が、ここではほとんど見えない。 Weather Reportには「全員がいつもソロをとっていて、同時に誰もソロをとっていない」という意味の有名な言い回しがある。初期のアルバムを聴くと、この言葉が理想論ではなく、そのまま音の作り方を説明していることがよく分かる。主役と脇役を決めずに、全員が少しずつ前に出たり引いたりしながら、一つの天気図のような響きを描いていく。バンド名に天気予報という言葉を選んだのも、うまいと思う。 ただ、この自由なやり方には弱点もあった。拍をはっきり刻む人がいないと、聴き手は音楽のどこに体を預ければいいのか分からなくなる。1970年代の半ばにかけて、バンドはこの問題に向き合い、少しずつ別の答えを探していく。その答えの一つが、ザヴィヌルの鍵盤の上に載ったシンセサイザーだった。 ARP 2600が持ち込んだ、オーケストラの代わりの音 ARP 2600。パネル上の穴をケーブルでつなぎ替えて音を組み立てるPhoto: Ville Hyvönen from helsinki / tallinn, Finland / CC BY-SA 2.0 ザヴィヌルは1971年ごろからARP 2600というシンセサイザーに触れはじめ、1973年の『Sweetnighter』のあたりから、これを本格的にバンドの音へ組み込んでいった。ARP 2600は、発振器やフィルターといった部品がパネルに並び、それをケーブルでつなぎ替えて音を作る仕組みの楽器である。1台では基本的に単音しか出ないが、ザヴィヌルは2台を並べて使い分け、ときには複数台をつないで和音のような厚みを出していた。 ...